皆様こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。
最近眠気によく襲われると話していたら、粋な友人から今の時期にぴったりな、素敵な漢詩を教えていただきました。私にとっては初めての漢詩です。
春暁
春眠不覚暁 (春眠暁を覚えず )
処処聞啼鳥 (処処に啼鳥を聞く)
夜来風雨声 (夜来風雨の声)
花落知多少 (花落つること知る多少ぞ)
-猛浩然
-現代語訳*-
春の夜の眠りは心地よく、朝が来たのにも気づかなかった。
あちらでもこちらでも鳥が啼くのが聞こえる。
昨夜は一晩中、雨まじりの風が吹いていたが、花はどれくらい散ってしまっただろうか。
自然に囲まれており、とても静かな環境の三郷町、または他の恵那市内にいるから同感できる詩だなと思います。
それにしても漢字が並ぶだけで風情が出る漢詩はとても素敵で何度も読み返してしまいます。
漢詩の世界をさりげなく教えてくれた友人に感謝!
私もそのように難なく詩をさらっと言えるようになってみたいものです…。
*「春暁 孟浩然」
こぞって歩きました
さて、先週末の3月5日(日)に三郷町青少年育成町民会議と三郷コミュニティセンター主催の第24回町民こぞって歩こう会が開催されました。毎年歩くコースの地区はローテーションで変わり、今年は佐々良木地区を歩きました。コースは約7キロの距離を3時間ほど、そしてコース途中の史跡や建物の説明を三郷町郷土史研究会のメンバーの説明を受けて歩きながら佐々良木地区を知ることができました。
参加者はスタッフ含め延べ120名(子供は30名ほど)。コミュニティセンターの駐車場にこれだけ沢山の人を見たのは初めてでした。年齢層は幼児からシニアの方までとても幅広かったです。
下:青少年育成町民会議の会長によるご挨拶
下:ノルデッィクウォーキングポールを使用した準備運動
ウォームアップ終了後は4つのグループに分かれ、ウォーキング開始です。
コースの概要
1番最初に寄った深瀬の阿弥陀堂は三郷コミュニティセンターから北東へ向かい徒歩7分ほどの所にあります。66号線沿いから少し離れているので、車を運転していては存在に気付くことはありません。
江戸時代中期に地元の人たちにより建てられた、一間に対し茅葺の屋根がとても大きく見える、特徴的な小さなお堂です。この茅葺屋根が劣化し崩れ始めているので、近々この建物を壊してメンテナンスがしやすい建物に建て替えるような噂を耳にしました。
下:丁重にわかりやすく建物について説明をしている郷土史研究会の方
瓦屋根以外で阿弥陀堂の特徴は恵那市出身の西尾楚江画伯による64枚の天井画です。阿弥陀堂内は滅多に公開されないので、今回ようやく天井画を目にすることができました。直接木版に絵を描かれているのが印象的です。
阿弥陀堂を後にし、418号線沿いに立ち並んでいるどろかけ地蔵へ向かいます。今はまだ時期外れで景色はあまりよくありませんが、田植時や稲刈り前などの時期にこの辺りを歩くと青々とした緑や黄金色の稲穂に囲まれている気分になれ、とても贅沢な風景を堪能できます。
下:夏場のイメージ
下:交通安全協会の方たちが私たちの安全を見守ってくださいました。
どろかけ地蔵の由来は、お腹が痛む旅人があまりの痛みに耐えられず、手あたりしだいのものと一緒に泥を投げたらお地蔵様にその泥が当たってしまいました。でもしばらくすると腹痛が治ったことから、お地蔵様は泥をかけられるようになりそのような名前がついたそうです。病気が治るだけでなく、子宝にも恵まれるともいわれており、お地蔵さまには願掛けの様に泥がかけられていたようです。残念ながら、ある時不届きものがお地蔵様に泥の代わりに石を投げ首を折ってしまって以来、その効力は消えてしまったとか。
現在は5尊お地蔵様がここにいらっしゃいますが、全て違う時代のものだそうです。容姿もいろいろで、中にはお地蔵さんというよりは観音様に近いものも置かれています。中心に置かれているお地蔵さまが一番年代が若く、一目見ただけではわかりにくいですがコンクリートでできています。一番古いお地蔵様は一番小さな丈のもの(写真右下、真ん中の像)ですが作られた年代は不明です。
さて、どろかけ地蔵様を後にし、次は西にある目垂の観音様を目指します。子供たちは「疲れた~!」と大きな声で不満を言うものの、しばらくするとまたすぐに走り出していました。充電時間は大人の何倍もの速さのようで、お菓子を手に持つと更にパワーアップしているようでした。底なしのエネルギーを持っていてつい若さが羨ましくなってしまいます。
目垂は里山に囲まれた集落で、とても静かでのんびりしています。見渡す限り田畑や山しかありません。このエリアも花が咲くころからとても自然の美しい風景を楽しむことができます。
目垂の観音様に到着です。
お堂の中には沢山の石仏と、十一面観音様が中心に祀られていました。どこに十一面もお顔があるのだろう、と後で調べてみたところ、どうも主なお顔の上にある冠のような円状の形が10個あるのが他10面だそうです。それにしてもなんと穏やかな、慈悲深い表情なのでしょう。
目垂の観音様から15~20分程歩くと、常久寺に到着します。お寺は階段の上にありますが、今回は十王堂という、お寺の下にあるお堂についてお話を聞きました。
郷土史会の方たちの説明がしばらく長引いていたので、私達のグループが呼ばれるまで境内をまわりました。下の写真は十王堂の上から見える景色を撮影しようと試みたものです。66線沿いの佐々良木を見渡せます。
子供たちに紛れ込み十王堂の中に入ると、郷土史の方が飾られている十王像について説明をしていただきました。(正面を向いている10体)ここで初めて十王について知りましたが、人間が亡くなった後はよほど良い・又は悪い人生を送っていない限りすぐに三途の川を渡って成仏・または地獄に落ちるのではなく、十王と呼ばれる10人の裁判官に何度も裁かれるそうです。その裁かれる日程が仏教で亡くなった人をお祈りする日(初七日、四十九日、1回忌などなど)と一致するそうです。3年経てば初めて仏様の世界に行けるという、なんともシビアな信仰です。俗世を去っても試練は続くことを知り、先が思いやられてしまいました。
生前十王像を祀れば罪は軽減されると言われています。分かりずらいですが、1段目のお供えする段には司法・裁判の公正さを表す象徴の天秤が飾ってありました。子供たちは説明をどこまで理解できたのか、質問してみたかったです。仏教の世界をあまり知らない私にとってはとても新鮮な内容でした。
説明を聞いていたら、いつの間にかグループとはぐれてしまいした。急いで次のポイント、宮盛座へ向かいました。ここは昔の農村歌舞伎座であり、昔はここが三郷町のエンターテイメントセンターといっても過言ではなかったようです。歌舞伎以外にも映画などを上映していたそうで、入り口の左右にはチケットカウンターの窓口が名残として残っています。約13年前に改修工事が行われ、現在は主に集会所として地域の人が利用しています。残念ながら歌舞伎の演目をこちらで行うことはありませんが、練習所として活用されています。恵那では飯地町と三郷町だけがまだ歌舞伎座があるそうです。
宮盛座には花道が1つあり、2階にも観客席があります。1階はほぼバリアフリーの環境となっており、どなたでも出入りができるようになっています。飯地の五毛座は、花道が1つずつ両サイドにあり、2階の客席の床部分が舞台に向かって傾斜がついています。このように、市内で似た大きさの歌舞伎座が2つあることで色々と比較もでき楽しめます。
三郷町の宮盛座は2階に紅白の提灯がついているのが何とも良い味を出しています。また、忘れてはならないのが窓はオリジナルのままだそうで、レトロな木枠製です。断熱的には全くよろしくありませんが、このような昔の名残要素を再利用することで、その場の使用用途は変わるかもしれませんが建物は次の世代へ歴史や空間の記憶と共に継がれるのだと思います。
宮盛座から道の駅「らっせぃみさと」へ向かうグループもありましたが、私は宮盛座で遅れを取ってしまったうえらっせぃは頻繁に通っている場所なので、少しズルをして最終目的地である深瀬茅葺の家へ直接向かいました。この時点でお腹がグーグー鳴り始めました。下の写真は66号線の南側にある農道を歩いているシーンなのですが、農道は地元の人が頻繁に使うため車がよく通り徒歩者と事故になりかねません。その為青少年育成町民会議のメンバーが頻繁に声を掛け合いながら私たちの安全を見守り、誘導していただきました。ありがたいことです。
茅葺の家まであともう一息! ごへいもちを焼いている香ばしい、いい匂いがしてきました。
観光協会が無料で振る舞われている豚汁を頂く前に、茅葺の家の説明を聞きました。明治・大正時代の農家住宅の田の字の間取りと馬小屋を残したこの家は約3年の歳月をかけて修復されました。電源や水道は通っていませんが、囲炉裏の間がしっかりと機能しており、郷土史会の方たちが囲炉裏を囲みながら食べている場面を見るとなぜかしっくりきます。通常は閉まっていますが、三郷振興事務所に問い合わせれば開館して中を拝見することが可能です。
こちらの茅葺屋根も段々と痛みが激しくなってきており、そろそろ葺き替え時期が近づいてきているようです。修繕を遅らせると屋根の構造だけでなく、建物全体も傷んできてしまうため、なるべく早めに屋根の葺き替えに取り掛かるのが理想です。
さて、ようやく待ちに待ったランチタイムです!観光協会が無料で配布されている豚汁を頂き、また先日ごへいもちを握ったお手伝い賃としてごへいもち3本も頂けました。ありがたいことです。
観光協会の方々が作る豚汁はいつも具沢山でとても美味しいです。お代わりをしたかったのですが、やはり人気だったようで私が向かった時にはもうお汁が少ししか残っていませんでした。ごへいもちは握る際少しご飯がゆるめで焼く際に落ちてこないか心配しましたが、意外とやわらかくて美味しく頂くことができたのでホッと安心しました。こちらのタレは前・公民館長さんのお手製で、とても香ばしく美味しいです。
左下:まちづくり委員会の健康福祉部会の部会長と副部会長も参加されており、イベントを楽しみながらサポートされていました。
右下:建物はやはり人に空間を使用してもらうときが一番素敵に見えます。
茅葺きの家の外回りではピクニック気分で参加者がお昼を頂いていました。気持ちがよさそうです。
下2枚:ごへいもちをタレにつけて炭火でじっくり焼く観光協会の男性スタッフ方
下:残り少ない豚汁のお代わりを頂いているお子さん
下:茅葺きの家の全貌。子供たちがいるだけで家が元気をもらえているように見える。
皆様ご参加いただき、ありがとうございました!約3時間のウォーキングで三郷町の良さを少しでも多く知って頂ければ幸いです。そして主催者の関係者の皆様もお疲れ様でした!
追伸:建物の価値
この世に形あるものは、いつか崩れ壊れてしまうのが宿命です。建築も同じです。
建物の風化、劣化によりいつも悩む点がその建物をこれからどうすべきかということです。
例えば深瀬の阿弥陀堂の茅葺き屋根の劣化問題。ここの地域ではまだ現役の貴重な茅葺屋根なので無くなってしまうことはとても残念、という個人的な思いが最初はありました。江戸時代からある建物ですが、現代社会には機能上不必要なお荷物となってしまったようです。本来ならば機能的な要素だけでなく、建物の歴史や文化的価値を重視することが優先順位かと思います。しかし、問題の底辺には金銭的負担があり、この自治会の住民が全てを実費で賄わなければなりません。
あんじゃないの家でも傾き始めた土蔵を壊すべきか、修繕するべきか、しばらくスタッフは悩みました。壊すことはいつでもできるのですが、修繕するということになると劣化がそれ以上進行しないうちに行動に移さないとどんどん建物の傷みはひどくなり、修繕するレベルも、それに対応する必要な時間や人材の数も増えるばかりになります。議論した結果、出た答えは修復する人材不足と修復費用を用意できないという基本的かつ非常に重要な問題点の対策が見つからなかったため、母屋以外に修復作業は行えないというものでした。取り壊しが決まり、昨年6月に土蔵は跡形がなくなりました。
建物の価値は各自の思い思いによって異なります。文化や歴史的価値に値するもの、個々の住民の思い出やコミュニティーとしての集団的な記憶が詰まった大切な場所、必要なのかそうでないのか、もしくは単に昔から建っていただけであり、あまり感情的関連性がないのか、などなど様々です。誰が建築要素のどこに重点を置くかによってその建物の運命が左右されます。
特に公共施設は大抵個人の物ではないため、地域の人たちと十分話し合い、建物の未来についてコミュニティーとして決断しなければなりません。
これからの阿弥陀堂と茅葺の家がどうなるのか、気になります。