どんど焼き

2015年01月14日 16:04

皆様こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

 

去年の暮れに佐々良木地区西のU自治会長さんから「1月になったらどんど焼きがあるから来てくれ」というお誘いがあり、早速11日に佐々良木区西へお邪魔してきました。人生初のどんど焼きです。古くなったお札やお守りを燃やす以外いまいち何をする行事なのかわからなかったので調べてみたところ、どんど焼きとは

「・・・小正月(こしょうがつ=1月15日)の行事で、正月の松飾り・注連縄(しめなわ)・書き初めなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。神事から始まったのではありましょうが、現在では宗教的意味あいは少なくなっています。

一般的には、田んぼや空き地に、長い竹(おんべ)や木、藁(わら)、茅(かや)、杉の葉などで作ったやぐらや小屋(どんどや)を組み、正月飾り、書き初めで飾り付けをしたのちそれを燃やし、残り火で、柳の木や細い竹にさした団子、あるいは餅を焼いて食べるという内容で1月15日前後に各地で行われます。

どんど焼きの火にあたったり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるなどの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣を祈る民間伝承行事です。」

 (「どんど焼き」参照) 

 

昔は元服の儀式を小正月に祝ったため成人の日が15日の祝日となっていたそうですが、昭和に入ると1月15日の小正月自体市民の生活から薄れてしまったため、2000年以降は1月の第2月曜日に変更されたそうです。それに合わせるように三郷町のどんど焼きも15日前後ではなく成人式の日の前にしたのではないかなと思われます。

 

Uさん宅で座談していたらいつの間にかどんど焼きが始まっていたので、急いで会場に向かうと竹に巻きつけてあるわらと竹のふもとに集められた門松やお正月の飾り物などに勢いよく火がまわっていました。どういうふうに火がつけられたのか見過ごしてしまい残念でした。

西区のどんど焼きは田んぼの真ん中で行われていました。とても長くて立派な竹は近くの山のふもとから大人数名が手で運ばれたそうです。

(下:よくバランスが取れている竹。ちなみに空が暗いのはどんど焼きの煙のせいではなく、たまたま雨雲が上空に集まっていたからです。)

勢い良く炎と共に煙が上りました。その煙に乗ってお正月の神様は天に戻られるそうです。ここへ向かう最中他区でも煙がいくつか上がっていたのできっとそちらのお正月の神様も無事に天へ戻られたことでしょう。

そして大きな爆竹音が鳴るたびに驚かされました。この音が災いを遠退けてくれるとのことです。

お正月のお飾りの燃えがとても元気よく、火の近くに寄って持参した古くなったお守りなどを投げ入れても炎から出る上昇気流がとても強くてお守りが跳ね返されてしまいました。火は怖いので程良い距離で暖を取りました。

そうこうしているうちに竹が燃え崩れ始めました。ゆらゆらと次第に倒れ始め、最後は地面に倒れました。なかなか落ちる場所が定まらないため、火のまわりにいた人は小走りで竹があたらないよう逃げ回ります。一瞬のスリルが味わえました。

お正月の飾り物などの形がなくなり火も落ち着いてきたら竹の棒の先にスコップみたいなものをつけ、燃えている竹炭を少しずつ近くに設置してあるU字溝に乗せました。U字溝の上に網や鉄板を並べ、その火をもとにお餅を沢山焼き始めました。お餅を焼くのは鏡開きの日だからだと勝手に思っていましたが、先ほどの言い伝えによるとどんど焼きで焼いたお餅やお団子を食べればその年は健康でいられるそうです。私は勧められるがままに大きな美味しいお餅を2つをペロリと頂いたのできっと今年は健康でいられるはず!

 

お餅の他にも具沢山な豚汁を頂き満足していたら、あらやあれよと次々にU字溝の上に新たな食べ物が並べられるではないですか!数種類のお餅以外にはウィンナー、ジューシーな揚げ、伊勢参りからお土産の日干しのサンマにスルメ、他にも沢山の美味しい漬物やデザートのホカホカ志まん焼きなど、見ているだけで賑やかでした。寒い中知り合ったばかりの方々とU字溝を囲んで暖をとれたことはとても楽しかったです。そして写真には写っていないですが、近所のどなたかがマイBBQセットを持参していたようで、そちらは豪華な大エビがどどーんと焼けていました。行事が始まったころはお神酒としてチョビチョビ飲まれていたお酒もいつの間にか豪快に注がれており、皆様とても楽しく時間を過ごしていらっしゃいました。

佐々良木西は少子化で子供が数えるほどしかいなくなったため、子供会ではなく自治会がどんど焼きを主催するようになったそうです。どんど焼きには思ったより多くのお子さんが参加され元気に走り回っていたのですが、大半は里帰りで戻ってきたお孫さんや親戚の知り合いで、この先どのくらいどんど焼きが行事として受け継がれていくのか気になりました。健康福祉部会長のKさんもここの方だったので少しお話をしていたら、どうやら彼が子供の時はどんど焼きは佐々良木西ではやっていなかったそうです。それが中学校3年生になった頃からまたどんど焼きは再開されたそうなので、地域の皆さんがどんど焼きは子供のためのみの行事ではなく、地域の住民を結びつける大切な行事と認識されたということなのでしょうか。

 

今回は私とあんじゃないの家の講座生だったKさん(二人ともどんど焼きを知らなかった)が参加させていただきましたが、とても暖かく向かい入れていただき本当にありがとうございました。皆様も今年は無病息災でありますように!

 

 <追伸>

子供の頃近所の駄菓子屋さんで似たような名前のお菓子があり、そのイラストを見て「どんどん焼くお祭りとはどういう意味なんだろう」と疑問を持ちながら食べていた時期がありました。どんど焼きとお菓子のどんどん焼きは何か関連があるのでしょうか…?一番まっとうに聞こえた答えはこちらです。

—————

戻る