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2016年01月13日 17:53

野井区のいろいろなどんど焼き

皆様こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

皆様は3連休をどのように過ごされましたでしょうか?

 

今回は前回の「なんまいだ」に引き続き、1月10日(日)に各地で行われた新年行事のどんど焼きについてリポートします。去年は佐々良木区西へご招待を受けましたが、今年は「野井区の流田と中切のどんど焼きを見ると良いよ」と昨年末舟森山武並神社の門松作りを取材した際にアドバイスを頂いたので、招待なしの突撃取材となりました。(どんど焼きをご存知ない方は昨年の佐々良木区西のどんど焼きの記事をお読みください)

 

下:地図をクリックするとgoogle mapに飛びます。そちらでどんど焼きの会場になった組名や場所がわかります。

1.大沢組

今までそれぞれの自治会が一体どこなのか、あやふやにしか理解していませんでした。「なんとなく」を頼りに家を出て、ゆっくりとどんど焼きの会場へ向かうも思っていた所には人気があらず。もう少し東へ進むと、穴観音様(三十三所観音様)が祭られている林の辺りから煙が出ていましたので、そちらへ急いで行きました。

 

会場にたどり着くと、まだどんど焼きを設置している段階でした。煙は人が温まるように焚いたたきぎのもので、どんど焼きの行事が始まるのはまだ1時間先とのこと。「流田では8時ごろに鷺鳥(左義長)を作るからその光景が見れる」とお聞きしていたので一番初めに流田を目指したわけでしたが、私が到着した時点でもう鷺鳥はしっかりと出来上がっていました。その他にもいくつか聞いていたお話と違う点があったので町民の方にお聞きしたところ、どうやらそこは流田ではなく、流田より一つ東側に位置する大沢という自治会だったのです!とんだ勘違い・・・でもせっかくでしたので、取材の許可を得て貴重な準備作業を拝見させていただきました。

 

どんど焼きは別名左義長(なぜか昔のホッケーみたいな球技で三毬杖(さぎちょう)という宮中行事から由来している)と呼ばれており、その名前にかけた鷺鳥(さぎちょう)、幣束(へいそく)、ぼんでんが先についた3本の竹がどんど焼きの中心に立てられます。幣束は4日のなんまいだの時にご近所を回り無病息災や五穀豊穣を祈るため唱える際に使用したもの。ちなみにその当日ご近所の門松を子供達や子供会の関係者などが集めに回ります。数年前まではこちらの道は舗装されておらず、道の真ん中でどんど焼きを行っていたそうです。道路が整備されたことにより、隣の田んぼをお借りして行事を行うようになりました。

大沢の鷺鳥はものすごい迫力がありました!大きさはもちろんあるのですが、なんといってもワラでできたトサカが勢いよく上がっているのと、くちばしが上手にできており、しっぽが長いため風が当たると鳥は今にも動き出すかのようでした。こちらは子供会の子供たちに付添そわれた大人たちの力作です。

まずは杭を打ち、その中に先程の中心となる三本の竹を立てる準備をします。杭が倒れないよう、しっかりと補強をします。そこへ近所の山から捕ってきた竹や乾いた木、そして4日に自治会内で飾ってあった門松を集めたものを次々とどんどの山に足していきます。昔人口が多かったころは門松の量も多かったのですが近年は門松を作る家庭が少なくなり、燃える音が「どんっ」とする竹がないとどんど焼きらしくないため、新たに竹を切ってどんどの燃やす山に足すようになったと聞きました。どんど焼きを大きくしていく作業はしばらく続くのですが、9時過ぎにならないと子供たちは集まらないと言われたこともあり、私は一旦流田の方へと取材先を移動しました。(流田のどんど焼きはこの後に記載します)

さて、流田のどんど焼きから戻ってくると、まだどんどは焼けていませんでした。鷺鳥がついている竹は3、4メートルの高さがあります。左義長を支える竹先にはワラが巻かれており、火が左義長までまわりやすく工夫されています。鷺鳥は毎年違う恵方に頭を向けて設置します。今年の恵方は南南東なので、大沢組はじめ他のどんど焼き会場も鷺鳥は南南東を向いていました。

子供たちも沢山集まっていました。行事が始まる前は焚き木に使用する木材をおもちゃにして遊んだり、田畑や川沿いで何かを見つけてはしゃいだり、元気に走り回る姿は微笑ましく、いつでもどこでも遊べる子供たちの頭の柔軟性に感心させられました。そうこうしているうちにどんど焼きの始まりです。まずは子供たちがどんど焼きの前に整列し、神社の参拝と同じく二礼二拍手一礼をしてお正月中門松に宿っていた歳神様にご挨拶。そのあとは子供の代表がどんど焼きに少しずつお神酒をかけて一周します。これでどんどに火をつける準備ができました。

下:どんど焼きの前の参拝風景

火がつくと、勢いよくどんど焼きが始まりました。煙もものすごい勢いで天へ上がって行きました。これで歳神様も無事に天へ戻ることができるでしょう・・・と思いきや、しばらくすると思ってもいなかったハプニングが!

どんど焼きで重要な鷺鳥が一向に燃えないのです。燃えるどころか、先ほどしっかりと製作していた支えの構造の木材が先に燃えてしまい、鷺鳥が竹についたまま落ちてきてしまいました。急いで鷺鳥がついた竹を短く切り、再度どんど焼きの燃えやすいところに挿し直して無事鷺鳥が燃えるのを見守りました。今年の大沢組の農業がどうか不作でありませんように!

子供達や保護者がどんど焼きを最後まで見守る中、焚き木周りにおじいちゃん世代の男衆が集まっていました。肩越しに覗くと、いつの間にか大きな竹筒にお酒を入れお燗やお酒のお供となる焼き魚を準備していました。お燗を飲むコップも竹でできていたのには新鮮なワイルドさがありましたが、何より大きな竹から注がれるお燗を嬉しそうに頂くおじ様方の姿が何とも微笑ましかったです。

女性の方はその間参加者のくじ引きを担当したり、談話しながらお菓子や食べ物を準備したりと行事を楽しまれていました。思えばどんど焼きを準備するのは男性だけで行われていましたし、火を扱うのも男性。これほど女性と男性の担当がはっきりくっきり分かれて行事を行うのはいまの時代珍しいなと後になって思いましたが、ここの地域ではまだ当たり前の風景なのです。

 

2.流田

さて、大沢組が準備をしている最中に流田の会場を発見し、お邪魔してきました。こちらもどんど焼きにはにそれぞれ鷺鳥、幣束、ぼんでんが先についている3本の竹を立てますが、それぞれ大沢組のものとは作り方がほとんど違うことに驚きました。竹の長さもこちらは他の地域に比べ比較的低めに設定されていました。数百メートルしか距離がないのに、こんなに装飾が違うのです。大沢は幣束に榊がついていましたが、流田は幣束のみ。ぼんでんの形も、鷺鳥の姿も色々あって面白いことに初めて気がつきました。

下:流田の鷺鳥は表情がありとても可愛らしいです。そしてワラは使わず、枝をしっぽなどに使用されています。よく見ると、くちばしの先にはひし形のお餅を意味する紙がついていました。

流田では先程大沢で見れなかったどんど焼きの作り方を見学させていただきました。まずは近所の門松に使用した材木や切ってきた竹を中心に集め、その周りに乾燥されて燃えやすい木材をおき、更にその周りに見栄えが良い竹で覆い、全体をひもで固定します。この時になるべく鷺鳥や最初に立てた3本の竹が中心になるよう勘考します。皆さん結構手慣れた様子で次々と作業が進みました。

左下:全体のバランスを最終チェック

右下:野井の酒蔵元・恵那醸造のお酒

火がつきやすいように新聞紙を下に詰め、着火してからそこから火がまんべんなく回るように見守ります。時にはどんど焼きの竹や枝などを動かして手動で火を広げていました。かなりやけどを覆う可能性の高い、危ない作業ですがそこはワイルドな方々なので慣れた手つきで行われていました。

下:流田のどんど焼きの煙

さて、火が順調に燃えた頃、女性の方々はお神酒やおやつを準備し、子供達はそれらをどんど焼きの参加者に振る舞うお手伝いをしました。緊張しながらも、身近な大人や私のような知らない人まで勇気を出して声をかけている子供達から何かを頂けるということに、とても心がホッコリ温まりました。ちょっとしたことですが、このような体験が地域のつながりを強化させるのかなと思いながら頂いたみかんを美味しく頂戴しました。

どんど焼きの火がだいぶおさまってきたころ、書初めを持ってきた子供たちがどんど焼きの火の中に書いた紙を投げ入れました。言い伝えでは紙が高く舞い上がれば字が上達すると言われています。今回の男の子たちの紙も空高く上がって灰になっていったので、きっとこれから字がメキメキと美しくなることでしょう。私も書初めして持ってこれば良かった…

そして自宅にあった古いお札やしめ縄など神事の飾り物を持参してどんど焼きで燃やします。そうすることでそれぞれの家庭を守っていただいた神様たちも天に戻られます。こうして年末の門松迎えから続く様々な行事のサイクルがこれで完結します。この後どんど焼きの火でお餅などを焼いて、暖をとりながら地域の方と交流するのですが、私は次の会場へ向かうためここで失礼しました。次の会場へ移動している最中、大きな黒いススが沢山宙に舞っていたり地面に落ちていたのはなんとも不思議な光景でした。

下:流田のどんど焼きの竹が燃える音

 

3.西組

次に向かった先は中切でしたが、またもや道に迷ってしまったので、近隣で煙が立っている方向へ進みました。煙は見えるし人の声が聞こえるのですが、なかなか人が見当たりません。一体どういうことなのでしょうか?

さらに会場へ近づくと、先程の謎が解けました。段差がある棚田の裏でどんど焼きが行われていたのです。会場の入り口ではたくさんのお子さんと保護者が来場者におやつを配られていました。

挨拶を済ませたら、いつの間にか鷺鳥が燃え焼けて無くなっていました。鳥の姿を写真に捉えることができず残念でしたが、以前まちづくり委員会に関わっていた方がいらっしゃったので、ご挨拶がてらこちらのどんど焼きをしばし拝見させていただきました。お話ししてると、こちらは三郷町で一番子供が多い地域で、逃してしまった鷺鳥作りも子供たちが作成されたそうです。ここのどんど焼きは3本の竹を立てず5メートルほど長い1本の竹に鷺鳥などの飾り物をつけて、倒れないようひもや杭などで固定されていました。そして、ここは目指していた中切ではなく、西組だということが判明。またしても迷ったおかげで新しいエリアにお邪魔することができました。

それにしてもとても火力が強く、周った会場の中でここが一番爆竹音の迫力を感じました。しばらく見いっていると、どうやら火が強い秘訣はバーナーで火を強化していたようです。こちらも違う意味でワイルド感溢れていました。そしてそうもゆっくりしていられないと我に返り、中切の場所を聞いてから急いで西組をあとにして次のどんど焼きへ向かいました。

 

4.中切組

案の定、中切の会場についた頃にはもうどんど焼きの山は小さくなって、遠目から見えないほどになっていました。一体どのような鷺鳥で、何本竹が立っていたのか自分の目で残念ながら確かめることはできませんでした。こういう時分身の術が使えれば…と心の中で嘆いていたら、ここを紹介していただいた方がとても素敵なプレゼントを準備されていました。それは2004年に中切組のどんど焼きがテレビ番組の取材を受けた時の映像、どんど焼きに関する情報が書いてあるメモ、そして他の行事の貴重な映像など。本当に嬉しいサプライズで心から嬉しかったです、ありがとうございました!

下:2004年中切組のどんど焼きの風景(映像元:メ~テレ)

そしてさすがに4つのどんど焼きを見学していたため体が冷え切ってしまい、どんど焼きで暖をとっていたら次々と子供たちが美味しそうなご馳走を運んで来てくれました。何もお手伝いはできませんでしたが、つい嬉しくなってしまい色々と頂いてしまいました。枝豆に自家製の漬物数種類、おやつになんといっても温かい具沢山豚汁は体に染みました。本当に色々とご馳走になり、ありがとうございました!どんど焼きの火で暖をとると若返りできたり無病息災で一年過ごせるご利益があるそうです。私は今回4か所回ったので、今年は昨年より元気に過ごせるはずです!

いきいき教室に通われている、歴史や文化に詳しいおじいさんもここの組の方で、今回どんど焼きについて少しお話をお聞きすることができました。先程も書きましたが、幣束は4日のなんまいだの時にご近所を回り、無病息災や五穀豊穣を祈るため唱える際に使用したものです。少し混乱してしまうのは、「なんまいだ」は仏教の南無阿弥陀仏から来ているのですが、いつから仏教の行事に神道で使用されている幣束が使われるようになったのだろうかということ。そしてぼんでんは色とりどりの紙で作られており、「色がついている装飾は仏教からの由来だろう」、とおじいさんは推測しているそうです。なんまいだやどんど焼きや昔の神仏習合な行事の習わしの由来について調べると面白いぞ、とアドバイスをいただきました。まさに、掘れば掘るほど面白い分野です。

そうしているうちに残りのおき火でお餅が焼かれ始めました。どんど焼き用のお餅はひし形で、田んぼの形を表しています。五穀豊穣を祈ってこの形になったのかなと想像しました。このお餅を食べれば1年間健康でいられるという言い伝えがあります。また、少し考えすぎかもしれませんが、ここでお餅を食べることの意味は田んぼを示すお餅を体内に入れて五穀豊穣の祈りを自身の中で消化し、そしてその思いを胸にまた新年から農業と向き合うという気持ちの意思表示なのかもしれません。そうなると、実はお餅を食べることは何と意味深い儀式なのだろうかと思いました。(あくまでも個人的な意見です)私も美味しそうなお餅を頂きたかったのですが、冷え性の体は低体温になってしまい、脳も作動しなくなっていたのでここにてどんど焼きの取材から失礼させていただきました。お餅を食べて健康な体、手に入れたかったです…。

 

帰路の途中、車から新たなどんど焼きの煙が北の方から上がっていたのが見えました。残念ながら会場に寄ることはできませんでしたが、宮の前という自治会で行われていたものだと思われます。こちらの様子を記録されていた方がいらっしゃいましたら、まちづくり委員会の方までご連絡願います。

 

コミュニティー単位の地名

町は地区、そして自治会(組)・または班という単位で構成されています。三郷町全体には19の自治会が存在しており、それぞれのコミュニティーは微妙に違う気質や生活文化があるようです。また、同じ町内でも野井区は自治会、佐々良木区は班と呼び方が違うという点もおもしろいです。オンライン上の地図を見ると区ではなく自治区の地名が表示されることがありますが、通常町内を運転していても大まかな地区しか認識していないため、それ以下の地名を覚えるのには今回のような取材がとてもためになりました。

 

あとに思うこと

私は初対面では人見知りで恥ずかしがり屋な気性なため、知らない人がいる集会に顔を出すのには相当の勇気が必要でした。でもこの職について2年目になると、いつの間にかどこかでお会いした方々やまちづくり関係のイベントなどでお世話になっている方々と各地域でお会いする機会が増えました。これはいわゆる顔が広くなったということなのでしょう。

 

未だに「まちづくり委員会の者ですが…」と挨拶を始めても、普段町の外へお仕事へ行っている方や、忙しくて地域との関わりが少ない働き盛りの年代の方達には?マークの表情しか頂けずなかなか疎外感があります。しかし、まちづくりを通して交流している町内人口が少しずつ増えているお蔭で今回はどこかしらに顔見知りの方々がいたため、緊張しすぎず取材をすることができました。ふるさと活性化協力隊としての冥利ですね、心から感謝です。

 

今回は野井区の大沢、流田、西、そして中切組のどんど焼きにアポなしでお邪魔しましたが、皆さん快く私を迎え入れていただき本当にありがとうございました!

 

 

 

 

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2016年01月08日 14:57

なんまいだ

こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

 

数日前になりますが、1月4日(月)と5日(火)に野井地区の子供たちが「なんまいだ」という行事を町内を回りながら行いました。

 

幣束(へいそく)がついた榊(さかき)を持ち、各家庭を訪れては榊でお祓いしながら「なんまいだーなんまいだー・こうみょうへんじょう」と太鼓など打ちながら子供たちが声を合わせて唱えます。この光明遍照というのは仏語で「阿弥陀仏の救いの光があまねく全世界に及んでいるということ」*で、伺う各家庭の無病息災や五穀豊穣を祈る唱え事とのこと。お祓いをしてもらった家からはお祝儀を頂き、集まったお祝儀は1月10日のどんど焼きに振る舞われるミカンやおやつ、お神酒などにあてられます。

三郷町内でも野井区だけこの行事を行う理由は調べても答えが見つかりませんでしたが、佐々良木や椋実地区では昔からなんまいだを行う風習はなかったようです。また、他の地域では少し行事内容が三郷町とは若干違いがあります。例えば同市串原町柿畑地区では1月7日に子供たちが大きな数珠を数人で回すそうです。また、群馬県富岡市中耕地地区では17日の夜に行われたり、同じく群馬県の昭和村糸井地区ではお正月明けではなく、農作業が活発になり始める6月に行事を行われています。そちらでは無病息災だけではなく、農作物につく害虫を追い払うためにも「なんまいだ」と唱えるそうです。

 

地域によって微妙に異なる行事も、元は京都・知恩寺の通称「百万遍」に由来するといわれています。なんまいだーと唱えながら大きな数珠玉1080個を100回回し極楽へ行けるよう願う行事です。三郷町野井区はなぜ数珠は持ち歩かないのか、一度詳細を知っている方がいたら是非教えていただきたいです。

 

人口減少で子供が減っている地域が増えている中、このような行事を絶やさないように努力されている自治会や子供会に感服します。その反面、これから各地域から子供がいなくなってしまうと地域文化はいったいどうしてしまうのか、とても気がかりなのも否めません。

 

ちなみに今年のなんまいだはローカルのNHKニュース番組にもピックアップされました。録画された方がいましたら、映像のコピーを頂きたいので是非こちらまでご連絡ください。

*「光明遍照」 三省堂 大辞林

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2016年01月08日 10:52

2015年新春 三郷町民走ろう歩こう会で体を動かそう!

三郷町体育協会主催の2016年新春三郷町民走ろう歩こう会が1月24日(日)に開催されます。


※下のチラシをクリックすると新しいウィンドウで拡大されます

走ろうと歩こうの2部にわかれており、歩こうの部はノルディックウォーキング講習で2kmを歩きます。走ろうの部はそれぞれの種目1~3位に賞品がご用意されており、更には参加賞もありますので参加される皆様は是非頑張ってください!

 

詳細はチラシをご覧ください。

 

 

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2016年01月08日 09:57

2016年新春 三郷町民走ろう歩こう会

2016年1月24日(日)9時から野井トレーニングセンターにて新春三郷町走ろう歩こう会が開催されます。

 

走ろうの部と歩こうの部に分かれており、小さなお子様から大人まで、どなたでも参加資格があります。

 

 

詳細はこちらです:2015年新春 三郷町民走ろう歩こう会で体を動かそう!

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2016年01月06日 15:09

新年よろしくお願いします

こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

 

読者の皆様は良いお正月を過ごされましたでしょうか? 

私は生まれ故郷に帰省し、久々の親族や旧知との再会を満喫してきました。

本年も少しずつですが心を込めていろいろな記事を書いていく所存ですのでよろしくお願いいたします。

2016年は皆様にとって素晴らしい良い年になりますように願っております。

 

新年だけどまたまた門松作り

さて、本当は年始について書くべきなのですが、昨年の年末中紹介できなかった体験があったのでここで記します。

 

2015年仕事納めの内容はあんじゃないの家用の門松作りでした。(また門松の記事ですみません)今回は急きょ参加してくれた私の友人や私自身も一からのお手伝いをしました。二人とも門松作りは初めてです。

 

毎度おなじみFさんの竹藪山でFさんと待ち合わせをし、門松用の竹を迎えに行きました。山には無数の立派な竹が連なっていますが、その中からなるべくまっすぐのびているものを選びました。前から見るとまっすぐに見えても、場所を移動して横から竹を見るとグワンと曲がっているものが結構あり、竹を選択するのに思ったより時間がかかりました。程度の良い竹が見つかると、Fさんは早速のこぎりで竹を簡単に切り始めました。私たちは安全な場所で離れてFさんの活動を見守ります。「メリメリ、バリバリバリ」という音と共に竹は倒れましたが、木や竹が密集しているため、竹の先が他の木の枝などに引っかかってしまい地面まで落ちてきませんでした。

左下:竹選びの時間

右下:竹をのこぎりで切っているところ

ここからがFさんの腕の見せ所。ひもがつながっている大きなフックを竹の切り口部分にかけ、ひもを大胆にひっぱりながら引っかかった竹を揺らし引っ張ります。竹は一見細く見えますが、かなり重いです。そんな竹の様子を見ながら何度もひっぱったり揺らしたりを繰り返すと、ようやくズズズズ・ドスンと竹が地面に落ちました。切った2本目も似た様な太さのものを選び、1本目と同様に切り倒しました。ここまでの作業をFさん一人にお任せしてしまい、とてもふがいなかった反面、体力不足の友人と私では決してできなかった作業だったのでとてもありがたかったです。

竹は1本全て使用するわけではありません。約3メートルの長さで切り揃えてから軽トラまで運びます。久しぶりにのこぎりを手にしましたが、思ったより腕と腰に来る作業でした。本当はこの時点で2本の竹の節の高さが似た様な位置にあるのか確認し、玄関前に据えた時竹の見栄えが左右対称になるとかっこよいのですが、私たちは切ることで精いっぱいでした。のちにここで確認を怠ってしまったことを後悔するのです…がそれはさておき、次へ参りましょう。

そのあとは切った竹を軽トラの荷台に積みました。運転中竹が動かないようひもで竹を固定しているところを観察していたら、いつも気が付かなかった結び目がしっかりと作られていました。万力(まんりき)結び、またの名を南京結びや運送結びといわれています。動滑車の原理を用いており、小さな力で大きな力を生み出せる結び方です。しっかりと荷物を固定しますが、ひもをほどくときはスルスルととれるそうです。軽トラは農作業や山仕事などが盛んな地方では第2の足といわれるほど大活躍しており、こういった特殊なひもの結び方は軽トラや運送用の車を持っていないとなかなか知る機会のない知識だなと改めて思いました。さりげなくこういった知識を持っている方々には本当に感服です。

さて、話を元に戻しましょう。あんじゃないの家へ向かう途中、車を駐車していた佐々良木目垂の観音様で何やらにぎやかな声がしたので立ち寄ってみました。するとご近所の方たちがここの門松を作っていた最中でした!

 

こちらも前回の野井舟森山武並神社と同様、この地域に昔から伝わっている松とそよぎの木、そして南天の実を飾り付けていました。そしていつお邪魔しても空いていなかったお堂が今回開いており、中で祭られている観音様や弘法さまなどの像が見学できて光栄でした。Fさんによると、これらの像は平家の落ち武者が持ち運んだという由来があるそうです。(間違っていたらすみません)目垂の皆様、突然にもかかわらず貴重な地域遺産や門松作りを見せて頂きありがとうございました!

そして最後に立ち寄ったのは藤井さんの田んぼ沿いにある松の木。松は年神様が宿る門松の一番大切な部分です。大きな枝を一本門松用に切っていただきました。自然が多い環境だとホームセンターやフラワーショップに行かなくても、自分の持ち山や田んぼ付近で飾り付け全てが揃ってしまう自然の恵みに感謝感激。お金に頼る売買の世界とは違う豊かさがとても素敵です。

寄り道を終え、ようやくあんじゃないの家に到着しました。晴れ晴れとしていた佐々良木目垂とはうってかわり、あんじゃないの家は裏山が太陽の光をさえぎっており、見事に底冷えしてしまいます。そんな中、早速ブルーシートを広げ作業開始です。Fさんがイメージしている門松は舟森山神社や目垂の観音様のような松とそよぎのものではなく、また常久寺で作られた大きな竹が3本並ぶものでもありませんでした。

 

まずは玄関の軒下の長さと斜面の角度に合わせ、竹先を切ります。そして玄関の両脇に柱の様に建てつけます。この時点で飾りというよりは建築の一部に見えてきました。存在感がすでにあります。

立てる場所を確認し、印をつけたら竹をはずし、飾りを入れる部分をのこぎりで切り取ります。ここで先程書いた、節の高さが合わない問題がついに発覚しました:節の高さが合わないと左右対称にならないだけでなく、飾りを入れる部分の高さも合わなくなってしまうのです! でもそこはご愛嬌ということで、なるべく近い高さにしてそれぞれの竹に切り目を入れました。竹を斜めに切るのはのこぎりが滑ったり、切っている最中に刃が曲がって切り口も歪んでしまい、頭で思っていることと刃が相反した動きをして難しかったです。また、のこぎりは早く動かせば早く切れるものではないということも体験して分かりました。ゆっくりと、少し力を加えながら動かせばきちんと竹は切れました。

竹が軒下から倒れないようにビスを軽く軒下につけ、竹に引っかかるようにします。竹が固定された後は切り口部分に水が入った入れ物を据え、これで竹の準備は完了。その後は友人と私でそれぞれの竹に松や梅の木、南天の実、そして笹の葉で飾り付けを行いました。

乾山がなかったためどうしても飾りが触るたび動いてしまいましたが、何とかそれぞれの竹の飾り付けを終えることができました。非相称ですが、それがかえって良く見えるのは自分たちが作ったという、客観性がない色眼鏡からの観点だからでしょうか?個人的には先程Fさんに用意していただいた松の木の枝や笹の葉、そして南天の葉を豪快に使うことができたのでとても満足しています:)

私達が飾り付けをしている最中に、Fさんが竹の足元に砂を盛って下さいました。これであんじゃないの家の門松できあがり!

華道を習ったことのない私にとって花を生けることの難しさ、歯がゆさは毎回感じるのですが、このような機会を頂いて場数を増やすことにより、少しずつですが自然を使う美を五感で感じ取りながら学んでいけるのだと分かってきたような気がします。今回はFさんのお誘いにより貴重な体験をすることができました。Fさん、いつも気にかけていただきありがとうございます!

 

追伸

あんじゃないの家は日中でもほとんど日が当たりません。夏場はそのおかげでだいぶ涼しいのですが、冬場の寒さは体の芯まで冷えてしまいます。この辺りでは「凍みる寒さだな~」(凍る寒さだな~)なんて方言がありますが、まさに息が凍みるほどの寒さだったのです。暖冬だから甘く見てはいけない場所なのです。今回は外仕事が長かったので、いつのまにか家に帰る頃には体が冷えきってしまい、低体温症から高熱で倒れてしまいました。寝正月にはならずにすみましたが、皆さんももし冬期中あんじゃないの家方面へお越しになる際は沢山重ね着して、しっかり体内温度調整ができるよう準備をお願いします。

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2015年12月23日 11:38

門松作り

皆様こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

今回は野井地区の舟森山武並神社と佐々良木地区の常久寺にお邪魔し、門松作りの様子をそれぞれ見学させていただきました。

 

舟森山武並神社

まずは舟森山武並神社から。こちらでは毎年神社の当番は順番に地域の班が受け持ちます。今年の当番は中切班で、お祭りや行事、掃除などを班で行われました。今回は門松迎え(松を山から切って持ってくること)を数日前に行い、23日に手分けをし、神社境内の掃除と門松作りを同時進行で行われました。

下:境内の神殿前に飾られた門松

指定されていた時間より少し早めにお伺いしましたが、すでに時は遅し。その頃にはもうほとんど門松が完了しつつありました(**;)何事も早めに済ませようと努力される町民の姿勢は素晴らしい限りです。三郷で時間にルーズな方にお会いしたことはわずか数えるほどのみ...私も真剣に見習わなければなりません。(確かこのことについて以前記事を書きました)

 

さて、気を取り直して色々と門松についてお聞きました。武並神社ではこの地域に昔から伝わってきた形の門松を作ります。まず日が良い時に山から葉ぶりが元気でしなやかさがある若い新芽の赤松(雌松)を迎えに行きます。9がつく日や、一夜飾り、仏滅など縁起の悪い日は松のお迎えを避けます。そして枝の先を使用するのではなく、地面から生えている、幼い木を使います。松のお供にはそよごを使います。今年はそよごに赤い実がついていなかったため、なんてんで赤色をアクセントとして加えます。よく見かける斜めに口が切ってある竹はこの地域では使用しません。そして、そよごの高さに合わせて松の高さをここでは調整しました。

固定方法は、まず地面にそよごやこならなどの木で杭打ちをします。その杭にそよごと松の木をおさえ、その周りにわら縄を2度回してから垣根結び(男結びともいう)という特殊な結び方で固定します。普段使わない結び方なので、習得するのに10年はかかると冗談(?!)を言われました。結び目は参拝者の方に向けます。

 

左下:杭が支えとなっている

右下:垣根結び。慣れていないとゆるんでしまるのだそう

境内の他にも鳥居の前で門松が1組作られていました。あしのふもとに綺麗な見栄えの良い土を盛り、竹ぼうきで手跡を消します。こういった作業や工程は何度も門松を作られた経験がある人生の先輩方から次の世代に受け継がれています。通常だと本やインターネットなどで情報を何とか形にしますが、三郷町には生活の賢者が多くいるので色々と教えていただけることにとても感謝しています。

人の手によって作られましたが、どこか自然に生えているようにも見える、地方の門松の素朴さにとても今回魅かれました。

 

常久寺

午後からは佐々良木の常久寺で行われる門松作りを視察してきました。こちらは舟森山神社のような地元の形ではなく、世間が思い浮かべる王道の門松を作られました。また、門松以外にも宗教的に重要な場所と俗世を分ける結界を同時に作成されました。製作作業は今年度のお寺の役員の方々によって行われました。

立派な竹は事前にFさんの竹林(以前筍堀りに行った山)から4人がかりで切り運んでありました。大体2年物の青い竹でまだ節に白っぽい色が残っているものを選択するそうです。竹の中は空洞になっていますが、それでも結構重いです。

まずは門松作りの方から手順を追います。斜めに切ってある竹の切り口(そぎ)の表面をカンナにかけ、滑らかに仕上げます。その横では半分に切ったむしろをドラム缶に巻いていました。

こちらでも結び目は舟森武並神社と同じ垣根結びで、同じく2箇所結びをつけていました。むしろが固定された後は、ドラム缶より上のむしろの部分を外に折り曲げていました。どうしてなんだろうと観察していたら、ドラム缶を上下反対にして納得しました。

地面と門松との連続性ができました。ふもと部分の出来上がりです。

笹竹が必要ということで、お寺の裏に回り笹を刈って集めました。

しばらくすると竹の切り口が全てきれいになりました。違う高さの竹3本をドラム缶の真ん中に立て、細い針金で動かないようにまとめて固定します。そして竹が倒れないように、ドラム缶に土を敷き押し詰めます。土で埋まったら、松の木は竹の後方に、梅の枝は横の方に、なんてんの枝な竹の前方に挿し、そして残った隙間に先程刈りとってきた笹を隙間が無くなるまで足します。終いには先程のむしろのように、竹3本に黒いシュロ縄を巻き、垣根結びを2か所作ります。

生け花をやった経験がある方はお分かりだと思いますが、植物を生けるセンスはなかなか取得できるものではありません。何度も練習を重ねて、それぞれの生け花の良さを最大限に引き出せるように邁進する努力や感性が必要です。佐々良木の男性方は淡々と飾り付け作業を進めていき、いつの間にか美しい門松が左右ワンセットできあがっていました。そんなことが無理なくできてしまう技術に感心してしまいました。

近くから見ても、遠くから見ても、とても素敵な門松の出来上がりです。竹の切り口が笑っているような顔に見えてほっこりした気分になります。

さて、門松はできましたが結界作りが意外と難航していました。竹に穴を開け、竹の部品を組み立てるまでは順調に進んでいましたが、今回集まった集の中でシュロ縄を特別な結び目で巻いた経験者はだれ一人いません。結び目の名前や由来を知り方もいませんでした。そのため、今年まで使用されていた結界の結び目を見本とし、何度も見たり外しては観察していらっしゃいました。

 

下:竹を組み立てる。穴に差し込むピースも竹を切って作られました。

でもやはりわからない箇所があると横からあーでもない、こーでもない、とそれぞれが正しいと思う意見やジョークが混じりながらが次々と飛び交い、トライアル&エラーの繰り返しでした。そしてようやく何とか結び目の形が見本のものに真似ることができました。結界は全部で3個、一つにつき結び目を2つ作る必要があります。結ぶ部分で1時間以上かかりましたが、皆さんの諦めない努力のおかげでしっかりとした大きく背の高いな結び目ができました。

 

下:なんとか2つの竹筒を6本のシュロ縄で固定することはできましたが、結び目がどういうふうなのか誰も分からず苦戦されました

左下:前回作られた結界の結び目をほどいたりしながら何度も確認。

右下:何とか形になってきました

左下:できました!

右下:お寺の垣根にも似た様な結び目を発見

あとで調べましたが、この結び目はおそらくとっくり結び(またの名をねじりいぼ結び)かと思われます。(間違っていたらすみません)金閣寺垣などの竹垣の一番上に取り付ける玉縁(たまぶち)に使用されており、なかなかほどけることのないため縁起が良いとされる男結びのアレンジなのだそうです。

参照:造園初級技能の手引

役員の方々にとってはなかなかわからない作業で大変だったと思われますが、傍から見ている限りではワンヤワンヤと漫才みたいでとても面白いシーンでした。旧知の仲だからできる掛け合いなのだと思います。

 

できあがった立派な結界をお寺の必要な場所に置き、常久寺から美味しいお茶の差し入れを頂きました。ありがとうございました。そして皆様お疲れ様でした!

その他

今回は二か所の門松を比べてみましたが、それ以外にも飾り方は色々あるようです。いつもおもしろい昔の生活文化などのお話をしていただいているK館長さんのお宅では男前な飾り方の門松を毎年作られています。使用される松やそよごは舟森山神社といっしょですが、こちらはそよごでなく、松を中心に立てています。松の枝が勢いよくついているので豪快さが出ているのが特徴的です。

そして今朝、「66号沿いから野井トレーニングセンターに向かう道の入り口付近に大きい門松がある」と情報を頂き早速見に行きました。66号線を運転しているとおもわず門松の大きさに驚いてしまうほどのインパクトでした。写真を撮るのにも、道を渡らないと一組上手に映りません。あとで知りましたがあとで知りましたが一番高い竹の高さは3メートルを越しています。

 

この他に野井公民館などにも門松を設置されたのは地元の野井山造りの会でした。山の整備に力を入れている団体で、間伐した木や竹を再活用したりチェーンソーの使い方や間伐の大切さなどを広めていらっしゃいます。3年ほど前から間伐した竹の再利用として地元の野井に門松を作り始められました。特に県道沿いの門松はスケールが大きいので、なんてんや松の木枝ぶりがワイルドだなぁという印象が強いです。大きなハボタンまでもが飾り物になっています。これなら歳神様は迷わず野井区に来て頂けることでしょう。

下:東濃版中日新聞 12月25日付けの記事

思うこと

今回取材をしてわかったことは、門松は新年に1年の幸せを運ぶ年神様(正月様)が各家庭に来てくれるよう、「寄る場所ですよ」という目印なのだということからでした。門松の松にどうやら年神様は宿るので、竹は本当はそんなに必要な要素ではないみたいです。その年神様を迎えるために年末の大掃除を行い、家に福が来るよう年神様のご神体となる鏡餅やお供え物のおせち料理など準備をしていました*。現代では年神様のお話は聞くことはありませんが、年末に家の大掃除をすることは続いています。

 

そうしてお正月の日の出で年神様が降臨します。野井区などでは1月4日に「なんまいだ」といいながら子供たちが門松やお札などを各家庭から引き取りに来る儀式があり、1月10日のどんど焼きで門松などに火をつけて、天に上昇する煙と共に年神様が天に戻られます。そんな素敵な物語がお正月にはあったこと、初めて知りました。今年初めに佐々良木地区のどんど焼きに参加させていただきましたが、ようやく全ての行事が私の中でつながり、理解ができました。

 

私は集合住宅での暮らしがほとんどだったため、今まで門松を作ったことや飾ったことはありません。街に出てデパートや神社などに飾られたものを見たことはありますが、「立派だなぁ~」としか思ったことがありませんでした。東濃地区に越してから親戚が毎年門松を手作りしていることを目にしたのが最初の身近な門松です。今回こんなにたくさんの門松や門松の由来を知ることができ、とても勉強になりました。取材を受け入れて頂いた野井の舟森山武並神社と佐々良木の常久寺の関係者には大変お世話になりました。本当に心から感謝いたします。

 

近年では門松の後処理に困る地域が増えているため、門松自体を作らない家庭が増えていると聞きます。実際に門松の絵(写真)を玄関先に貼る所もあることを知りました。確かに目印にはなるかもしれませんが、やはり簡素化された2Dの印刷物より心がこもった本物の門松の方へ年神様は好んで向かうような気がするのは私だけでしょうか。個人的には門松の心配をする前に、まずは人様が入れる状態まで家の大掃除をしなければなりません...。

 

2015年はもうあとわずか。読者の皆様、今年もブログを読み続けていただき本当にありがとうございました。

良い新年をお迎えください! Happy Holidays!!

 

*お正月にやってくる「年神様」とは

 

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2015年12月14日 15:41

こんにゃくは作りたてが最高!

先日12月13日(日)あんじゃないの家でこんにゃく作りを行いました。

 

講師は飯地町からお見えになった山口先生たち。参加者は町内外から17名+子供6名、今月で1歳になる赤ちゃんからシニアの方まで幅広い年齢層が集まりました。ほとんどの方がこんにゃくを作るのは初めてです。

 

上矢作産のこんにゃく芋9キロをまずは水洗いし、土や汚れを落とします。今回は時間短縮の為、参加者が来場される前に芋洗いと芋を煮る作業はイベント開始前にスタッフで行いましたが、早く来場された参加者にもお手伝いをお願いしました。芋の大きさは大きくて拳2つ分以上の3年ものや、もう少し小さめのがありました。芋に火が通りやすくするため、大きい芋は適度に切り小さくしました。外では男性スタッフが薪を用意し、釜で湯を沸かす準備をしました。

参加者が集まったところで、少しずつこんにゃく芋に火が通ってきました。すっとお箸や竹串などが刺さればOKです。9キロ分の芋を煮るのは思った以上に時間がかかります。

茹で上がった芋を徐々に参加者の方へ運び、根が出ている部分を包丁でくり採った後、こんにゃく芋を水につけながら手で皮をむいていただきました。皮はツルンと取れるそうです。

皮をむき終えたあとはミキサーに入るほどの大きさに芋を切り、1キロずつ量ります。1キロに対して2ℓの水や水で溶かした精製ソーダ(擬涸剤)50gの分量が決まっているので1キロずつ芋を分けます。

ご用意したミキサーが小さめだったため、1キロの芋を何回かに分け、ミキサーに水を適度に入れながら1分ほどかけます。ミキサーから芋糊を他の器に移し、残りの芋と水を同じようにミキサーにかけます。1キロ分の芋に対して水の分量が決まっているので芋をミキサーに入れる割合と同じ割合の水を目分量でミキサーに入れるのが至難の業でした。どうしても最初と最後にミキサーにかけた芋糊のねばり度に違いが出ますが、こればかりはご愛嬌です。

下:ミキサーに一分かけて取り出した芋糊。白くて粘り気があります!

1キロ分の芋と水をミキサーにかけ終えたら、水に溶かした精製ソーダを芋糊に入れ、素早く泡立て器で全体に混ぜます。擬涸剤を入れた瞬間入れた瞬間、こんにゃく独特のにおいがしてきました。

その後は手で芋糊をまんべんなく混ぜます。どのくらい混ぜるのかまでは聞き取れませんでした…。

大人たちの作業を見ているばかりじゃ子供たちも飽きてしまうので、お絵かきしていたり、外で遊んでいただきました。今回はパパさん達が数名参加されており、ママさんと交代で子供たちの面倒を見ていました。何とも微笑ましい光景です。パパさんの一人は「1日子供と過ごして奥さんの日々の大変さが少しだけ分かった」とコメントされました。パパサポーター、これからも頑張ってお子さんと向き合う時間を大切にしてください。

全ての芋を混ぜ終えたら、1時間以上ねかします。最初にミキサーにかけた時より、芋糊の色が濃くなってきました。この間に昼食をとりました。今回は山岡のおばあちゃん市のおかず沢山のお弁当を頂きました。美味しかったです。

食後は市内のサロンで認知症防止の運動を教えていらっしゃる水野先生にストレッチ体操やボケ防止の運動を教えていただきました。左右違う動きをすることでだいぶ脳が刺激されるのが分かりました。こういった運動は高齢者だけでなく、成人や子供達までも楽しくできました。そして「意外と難しい」といった声が聞こえてきたり、動きが怪しい方がいたりと面白がりながら時間が過ぎていきました。体操後はこんにゃくに関する質問タイムを設けました。

その後、芋糊を丸める準備ができたので一度皆さんに外へ出ていただきました。裏庭では湯が沸けていたのでそちらで先生方にこんにゃくを丸めてお湯の中に入れるお手本を見せて頂きました。写真ではわかりにくいですが、お湯の湯気だけでなく、焚きものの煙も一緒に釜の辺り広がり、燻りに慣れていない方は涙目になっていました。

こんにゃくの丸め方は、まず手を軽く水で濡らし、優しくこんにゃく糊を片手分すくいます。そして軽くにぎりながら大体の形を作り、そのあとは表面を優しくなで、滑らかに仕上げます。この時水をつけすぎるとこんにゃくの破片がはがれてしまったり、水が足りないとヒビができてしまうので、何度も挑戦して上達してコツを覚えます。参加者の皆さんはとても上手にテンポよく、丸いこんにゃくを作ってはお鍋やお釜に入れました。

お湯に丸めたこんにゃくを入れたら、こんにゃくが固くなるのを15~20分程待ちます。

下:外のお釜もフル活用。こんにゃくらしくなってきました。

そして試しに一玉お湯からあげ、中まで火が通ってるか確認してみました。バッチシです!早速、切っていただき味見をしてみました。醤油がなくてもシンプルなお芋の甘味がして触感もフンワリ、プルップルしていました。こんにゃく独特の匂いはほとんどなく、美味!最高です。

通常だとこんにゃくの美味しさを増すために、茹で上がった後もこんにゃくは茹で汁に入れたまま一晩おいておくそうです。今回は時間が無くなってしまったので、少しずつ出来上がったものをお湯から取りだし、参加者がお持ち帰りできるようお水で冷やしました。

作業後は地元の方お手製のからすみ3種とお茶で一服。立ち仕事が長かったので、甘いからすみは気分転換に最適でした。子供たちも喜んで食べていました。

器材が小さかったり足りていなかったり、進行が少々足踏みする場面もあり参加者に時折ご迷惑をおかけしてしまいました。それでも終始笑顔でイベントを楽しんでいただけた参加者や先生方に感謝します。スタッフの方々もご苦労様でした。皆様、ご参加ありがとうございました!

 

<スライドショー>

 

 

<追伸>

こんにゃく作りのイベントの準備をしている最中に、こんな記事を目にしました。

メタボ大国アメリカで大絶賛されている日本の“ある食品”

 

”ある食品”とは、まさにこんにゃくだったのです。

目を疑いました。なぜなら、悪魔の舌という代名詞を持つほど欧米では変なもの扱いされていたから。記事にも在日留学生の方に試食してもらっても、口から吐き出す始末だったとか。

 

しかし、記事を読んでいくうちにこんにゃく業者さんはじめ「群馬県こんにゃく海外戦略研究会」が諦めず研究を重ね勘考し、海外の人の口に合うよう工夫を重ねて見た目を変えパスタや炒め用ライスとして売り出したら、健康に敏感なアメリカ人に爆発的に人気が出たそうです。こんにゃくは植物性でカロリーが低く、グルテンフリーという夢みたいな食べ物だとひたすら説明をした結果だそうです。調べてみると、商品名も"Miracle Noodle"、 "Miracle Rice"とミラクル(奇跡)を堂々とつけたほど。他の商品名には"Diet"(ダイエット)がついていますが、あまり個人的に魅かれないのはなぜでしょうか…。

今年の夏にミラノで開催された国際博覧会やフランスでも今やこんにゃくが何でできているか知らなくても「健康食で美容に良い」ということが伝わり、注目の食品となりました。読み方も海外の人が読みやすいよう、このごろはkonjac(jは黙字っぽい「ヤ」と発音)と欧米化されています。形や味付けが和食とはかけ離れたものになっても日本の食品が世界に認められるのは嬉しいですね。こんにゃくの国内消費が減っている中、こんにゃくが新しい形で日本に逆輸入され、日本でももっとこんにゃくの良さを若い世代に知っていただければ…なんて可能性もあるかもしれません。

 

それでも今回思うことは、こんにゃくは手作り最っ高!

 

p.s.書き終わろうと思っていたら、廊下向かいの調理室から何かをペンペンと叩く音がしてきたので覗いて見ると、なんとこちらでもこんにゃくを作っていらっしゃいました。こちらはこんにゃくを丸めるのではなく、バットに芋糊を流し入れ、空気を抜くためペンペンと一生懸命叩いていらっしゃったところでした。今はこんにゃくシーズンなので、しばらくこんにゃくの話に花が咲きそうです。

 

 

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2015年12月11日 14:22

灰汁を作って思ったこと

こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

 

昨晩から三郷町では強い雨や風が吹き荒れ、12月とは思えないほどの生温かさとなっています。建物の中の方が外より寒い冬は初めての体験です。数日前までは毎朝マイナス-4,5°の世界だったのに今朝はジャケットが必要ないほどで、名古屋ではあまりの暑さでクーラーまでつけたという情報も耳に入りました。一体全体どうしたのでしょうか。

 

さて、13日はこんにゃく作りのイベントの準備の為、天候が崩れる前にイベント会場に必要な畳やじゅうたんをいつもお世話になっているFさんと先日一緒に干しました。外に干してもいっこうに太陽が顔を見せてくれなかったので、Fさんが機転を利かせて室内で干すことになりました。

「大豆の灰汁で作るこんにゃくは今までに食べたことがないほど絶品なのよ」という会長の一声から実現したこんにゃくの為の大豆作り。大豆は何とか無事に収穫できましたが、大豆の灰汁をこんにゃく作りに使用する先生が体調を崩されてしまい、他の講師は一般家庭で手に入りやすい水酸化カルシウムをこんにゃく作りに使用されるため、今回は大豆の灰汁は残念ながら出番なしとなってしまいました。

 

個人的には昔ながらの自然の恵みを使うこんにゃく作りにとても興味があり、灰汁の作り方も手間暇がかかるかもしれないけど一度は体験してみたかったので、じゅうたんや畳が干すのを待つ間、保管してあった大豆の籾殻から灰汁を作ってみることにしました。作り方はこちらを参照しました。

 

<灰を作る>

昔ガスが普及していなかった頃、どこのご家庭でもおくどや囲炉裏などで乾燥したわらや大豆の籾殻などに火をつけて焚いていたため灰は日常生活に欠かせないものでした。また、灰は世界最古の石けんとも言われ、昔は洗剤としても利用されていたそうです。年月が経つにつれ生活はがらりと変化し、くどはガスや電気コンロに、囲炉裏はストーブやエアコンに変わっていきました。科学や技術が発達した現代社会において灰が必要とされるシーンはほとんどなくなってしまいました。

 

当たり前にあった灰をこんにゃく作りに使用していた頃と、こんにゃく作りに必要な灰汁を作るために、必要な灰を一から作らないといけない今では灰作りにかけていた手間暇や貴重度が全然違います。たかが灰、されど灰。けっして侮ってはいけない大切なものだったということを今回灰作りを体験して知りました。

 

さて、まずはトタン板を地面に敷き、その上に少量の大豆殻を乗せます。そして火をつけてどんどん殻を燃やします。乾燥してあるので、とてもよく燃えました。灰汁の作り方に必要な灰の量は書いてありますが、実際にどのくらい殻を燃やせばよいのか全く分かりませんのでとりあえず倉庫に入れていたものすべてを灰にしました。

一通り火の炎が落ち着いたので終了かと思いきや、灰山の中はまだ黒い炭で火が赤くくすぶっていました。ここでFさんが気づきましたが、こういう場合は最初から煙突を立て、中まで空気がきちんと循環しきちんと黒い炭も白い灰に変わるまで燃やし続けなければいけないとのこと。早速トタン板を丸めて簡易煙突を作っていただきました。その煙突を2つのレンガの上に立て、下から空気が上へ上昇する仕組みを作りました。作業を始めてから約6時間後、ようやくほぼ白い灰だけの山ができました。

 

<灰を煮て、漉す>

今回は灰375ℊと水2.25ℓを火にかけ、沸騰するまで煮ます。煮立った灰水は1日分の新聞をのせたザルで一晩かけてこします。1日分の新聞紙はとても細かいフィルターとなって灰と水分をゆっくりと分離します。他のやり方では一晩煮立った灰水を放置することにより灰や異物がバケツの下まで沈殿し、うわべの灰汁をすくって使用するそうです。

1日たった今日、どれだけの灰汁ができたか見てみると、ほんの少量しかありませんでした!どうやら新聞紙にほとんど水分が吸われたみたいです。もったいない精神で新聞紙を絞ってみましたが、水分が絞り出てくる前に新聞紙が破れはじめ、灰が出てきてしまったので諦めることにしました。でも想像していた黒い水とはかけ離れたとても綺麗な山吹色だったのでびっくりしました。

この原液にぬるま湯2.25ℓをいれて薄めたら、綺麗な透きとおった灰汁のできあがりです。多分2,2.5ℓはできたと思います。オンラインで調べたレシピによると、1キロのこんにゃく芋に対し2合(360ℊ)の灰汁が必要ですので、6キロ分のこんにゃく芋に対応できる量ができました。

この灰汁の為に費やした時間は約1日半。無駄な努力と思われるかもしれませんが、実際に作ってみることにより人から聞いたり本で読ので得る情報よりも、5感で体験できた確かな記憶となりました。また、灰汁作りは残念ながらどこでもできるわけではありません。火が焚ける場所があり、大豆の殻やワラを燃やしても近所迷惑にならない事が前提です。そして何より大豆の殻やワラを入手することが必要です。そういう意味でも灰汁作りは貴重な体験でした。

 

<無駄のない生活>

昔お米を田んぼで作る際、稲を収穫してはざ干ししていました。手間はかかりますが天日干しすることでお米のうまさが凝縮されるうえ、乾燥した稲はワラとして縄やぞうり、農作業に必要な道具の材料、そして茅葺の屋根の材料として重宝されていました。

 

土の栄養分をあまり必要としない大豆も田んぼ周りのあぜに植え、とても合理的な土地の有効活用が行われていました。若い豆は枝豆として収穫し、残った豆はカラカラになるまで残しておけば大豆になります。大豆はそのまま食べられるだけでなく、みそや豆腐、豆乳やきな粉などの加工食品に変身します。

 

そして残ったわらや大豆の籾殻は火の焚きものになり、灰になっても洗剤やこんにゃく作りに必要な材料として大切にされていました。生物を何段階にも渡り上手に活用し、最後まで無駄を出さない昔の人の暮らしはエコシステムそのものでした。先人の知恵に脱帽です。

 

驚くほど合理的で無駄のない昔の人の知恵は近年忘れられてきているのが現状です。現代に通じる昔の暮らしの知恵は少しでも復活させたり、最新技術と融合し社会に再認識していただければと願います。

 

<余談>

先日道沿いの看板がいつもと違う風に見えたので近づいてみたら、看板に穴が開いて後ろの景色が見えていました。私があんじゃないの家に関わってからはや3年も経ったんだなぁと劣化した看板を見ながらふと思いました。

リフォームは内装で止まったままでこの先どうなるのかわかりませんが、まだまだ建物として進化する余地は沢山あります。(この看板も直していただきたい)ソフト事業ではあんじゃないの家で交流会やレンタル空間、他市からの視察、機織り機修繕作業、藍染め体験、農業体験、そして今回行われるこんにゃく作り体験などの郷土に根付いた体験を行いました。それらの体験から沢山のことを学び、沢山の方お会いすることができました。

 

色々思うことはありますが、もっと多くの方にあんじゃないの家を活用していただき、色々なことを体験して頂けたら幸いです。

 

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2015年12月09日 10:04

こんにゃく作りの参加募集締め切りました

12月13日(日)に開催予定のこんにゃく作りイベントは参加者人数を越えましたので、これにて参加者募集を締め切らせていただきます。

 

お申込みいただいた皆様ありがとうございます。

当日皆で美味しいこんにゃく作りを楽しみましょう!

 

イベントの詳細はこちら:新鮮な手作りこんにゃく作ります

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2015年12月07日 11:10

ウォーキングマップルートの確認:野井編 Part 2

健康福祉部会では現在三郷町の3地域全てのウォーキングマップを更新・作成中です。前回は野井区の長いコースを10月に歩き、少し歩く道を変更したりどこにコース用の看板を設置するかなど決定しました。今回は野井パート2、三郷町の東側に向かい歩きました。

 

今回の参加者は部会員とワンちゃんペアの他に、地元の親子2組が新たに加わりました。若さが混じったことでグループのダイナミックスは以前とまた違うエネルギッシュなものになりました。

一番最初に立ち寄った史跡スポットは正面木。岩村城から見て武並神社の正面地に木が植えられてこの名称がつきました。おそらく昔は正面木からの野井の景色はとても見晴らしがよかったと思われますが、現在は周りの木も相当大きくなってきており、枝葉が覆い茂っていたので景色は何も見えませんでした。

正面木の道向かいには三共の御嶽神社が奉られています。楓でしょうか、とても綺麗な紅葉です。

ノルディックウォーキングは子供から大人まで、年齢制限がないということを今回は3歳のAちゃんが証明してくれました。

66号線から南に2番目の農道はとても標高が高く、田畑の向こうに南アルプスがとても美しく見渡すことができます。

東組の農村風景展望地エリアにて。この坂道はとても急で、道路の先が見えないほど長いです。66号線につきあたります。冬場は道路が凍ってしまうこともしばしばあるそうです。しかし景色と空が開けて見えるのは気持ちが良い!

東に歩き続けると、ご近所の畑に沢山の梅と桜の木が植えてある箇所がありました。あいにく冬で葉っぱさえもない木ばかりでしたが、春先になるとアルプスを背景にとても綺麗な花見ができる素敵なスポットの一つです。

更に東へ歩き続けると、地図に載っていない大沢の金比羅様への行き方を知っている方が部会員の中にいらっしゃったので、早速引率していただきました。親子で参加された方たちは道が整備されていないのと小さなお子さんでは歩きにくい急斜面を登るということで、下で休憩がてら待機していただきました。

 

山の中を進んでいくと、下の写真のような石垣が積まれた昔の畑がいくつもありました。しかし、現在は畑としてではなく、ヒノキを育てるための土地として利用されており、石垣から礼儀正しくヒノキが並んで育っているのを見て、この様な土地の活用法を初めて知りました。目からうろこです。

さて、大沢の金比羅様の鳥居に到着しました。ここからが難関でした!なぜなら・・・

見てください、この急な階段道を!

平行な地面からきっと60度くらいの角度があっても納得できる急斜面でした。そして道といってもきれいに整備されておらず、半分けもの道と化していました。これを参加者のほとんどが登りました。

引率していただいているMさんと私はその急斜面を避けるべく、大回りをする違う道で山頂へ向かいました。こちらの方が時間がかかりましたが、安全面では急斜面を登るよりはるかに安全でした。(急斜面を登っている参加者の姿を下の写真で探し出すことができますか?)

山頂には金比羅様が我々を迎えてくださいました。金比羅様の東側には稲荷神社、西側に八幡神社が奉られています。2014年に上屋根が改修されましたが、ここまで木材や機材を運ぶことを想像したら大変な作業だったと思わずにはいられませんでした。

さて、登ったらいつかは降りなければなりません。来た道とは違う道を通ろうということになり、先ほど急な参道を上がってきた方々は遠回りですが滑らかな道へ、そしてMさんと私は急な参道を降りることになりました…。最後の数分は膝の痛みとの戦いでしたが、スリル満点の参道で山頂まで上がるのを大いに楽しむことができました。大沢の金比羅様、ハイキング初心者には少々ハードルが高い場所にあるような気がします。

元のコースに戻り、東にどんどん進みますと白壁土蔵や笠置山が展望できる場所があります。風景の美しさを上手に撮影できませんでしたが、パノラマで綺麗な景色がここから眺めることができ、至福のひと時を得ることができるほど美しい農村風景を満喫できます。

高台からの風景や見晴らしが良い分、そこから急な傾斜の道で下がる時に親子組が少々苦労しました。後ろ向きでゆっくりとベビーカーを支えながら降りられました。こういうハプニングも大人だけの参加者だったら決して見ることはないです。

少し坂道を下りてから上を眺めると、こんな感じの急斜面です。

降りている最中、Mさんが「ここの林の中にもちょっとした祠があるよ」と教えていただき、寄ってみることにしました。

妙見堂といい、妙見菩薩と庚申塔が奉られていました。お堂は2009年に建て替えられたそうです。

北西へ向かうと、まだ企画整理されていない小さい田畑が結構あることに気が付きました。長方形でピシっと綺麗に整列している田んぼも好きですが、土地そのものの形状を受け継いだ自然な形の田畑はそれぞれユニークな特徴があり、魅力的です。

最後は三十三所観音(通称穴観音)という史跡があります。ピラミッドの形をした石室の中には名前の通り33尊ではなく、34尊の観音様が4列に並んでいます。この様な形式は三郷に伝わるものではなく、もとは瑞浪市大湫宿に仕える野井の人が観音様を運び、石室の形も大湫宿のものを真似たと言われています。

穴観音様へのもう一つに入り口に分かりやすい看板が立っています。

稲を干している風景は最近珍しくなってきたようです。

 

参加していただいた皆様、お疲れ様でした!

 

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