記事のアーカイブ

2015年05月08日 14:31

素敵な交流

こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

 

皆様はゴールデンウィークをどう過ごされましたか?

私は放置していた草刈りや慣れない畑仕事、親戚の子守などで普段使用しない腰に負担をかけ続けた結果、半ばぎっくり腰になりあまり動けなくなってしまいました。安静にしているとできることは限られるのですが、その代り久しぶりに読書に没頭できました。最近はウェブ上の情報や新聞の記事を数分かけて目を通すことばかり多くなってしまい、厚みのある本をきちんと読む時間がなかったり集中力が切れやすくなっていましたが、腰を悪くしたおかげ(?!)でまたきちんと本と向き合うことができるようになりました。

 

今どきの方はkindleやタブレットなどで小説を読むそうで、とても軽い上何冊もの情報が持ち歩ける便利さにとても魅かれます。必要な情報をさっとサーチをかけて抽出することも簡単になりました。その半面、紙をめくる動作や手にする本の重さ、紙の手触りやインクの匂いなどは五感を存分に使い脳に良い刺激を与えるのがわかり、「あの情報はあそこのページあたりにあったかな」というふうに文字が空間的な要素になること、そしてなによりも製本されたページの中で話の連続性が目で見てわかるのでハードコピーは一生手放せないと思います。

さて、毎週お手伝いに行っているいきいき教室では今年に入りじわじわと参加者が増え続け、30名を越えようとしています。三郷町のいきいき教室とは日中一人で過ごされるシニアの方がクラフトや体操、おしゃべりなど週1で参加できる所で、お弁当+おやつつきです。去年私が入りたての頃はよそ者ということと、参加者の多くは三郷弁が強くて理解しづらいこともあり皆さんとしゃべれるようになるのに少し時間がかかりましたが、今ではとても会話がはずむまでに距離が縮みました。私もお手伝いする手を止め、ついつい皆さんとのおしゃべりに夢中になってしまい注意を受けています。

 

その中の一人、Wさんに以前から「うちにいつでも遊びにおいで」とお誘いを受けていましたので、先週ついにおうちにお邪魔してきました。Wさんは不運にもお子さん二人が立て続けに他界されており、しばらくは悲しみに暮れていた方です。いきいき教室でも私が入りたての頃は「悲しい」「さみしい」とよく口にされていましたが、最近は以前よりだいぶ明るく振る舞われるまでになりました。毎日どのように過ごされているのか聞くと、近所の方々が気軽に寄ったり、親族やお友達とお出かけしたり、隣町に住む娘さんやお孫さん達が畑や田んぼを頻繁に手伝いに来てくれるそうで安心しました。

 

おうちに上がると今までいきいき教室で作られた作品が随所にきれいに展示してありました。最近は自宅でもいきいき教室で習ったクラフトを作ろうと100均でいろいろと揃えられるそうですが、付き合いが増えたので忙しくてそれどころではないと聞き、嬉しくなりました。また、私が来る前に家の周りの雑草をとってきれいにされたり、お菓子を用意してくれるなど気を使って下さり、やはり、何歳になっても社交性ややりがいがある方はいきいきされているのだと証明してくれました。

 

いつもはいきいき教室でお会いしてもなかなかマンツーマンでお話しできる時間がないため、今回Wさんの趣味や好きな歌手などいろいろな個人的なことを教えていただき初めてWさんがどういう人なのか知ることができたような気がします。

 

帰り際、玄関の上にシイタケが飾られていることに気が付きました。どういう意味なのか聞いたところ、しわが寄っているから幸せがくるそうです。(まちがってたらすみません)シイタケが飾られるのは初めて見ましたが、どんどん幸せが集まってくれることを願います。

「わしに若い連れができて嬉しいわ。またいつでもおいで」と言って頂き心から嬉しかったです。

Wさん、お誘いありがとうございました。また近いうちお邪魔しに行きます!

—————

2015年04月27日 14:07

小舟の会 大盛況!

皆様こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

 

三郷ではいつの間にか桜は終わり、里山は青々と緑が茂り気持ちの良いそよ風が吹いています。日中は27度くらいまで温度が上がり、4月にしてはまだちょっと早い夏日に驚いています。

 

先週3日間、小舟の会による作品展「ふるさとは春うらら・・・」があんじゃないの家で開催されました。小舟の会は恵那市在住の書家・大野恵石さんはじめ、布ぞうり作家・坪井弥栄子さん、エコクラフトテープ作家・丸山美千子さん、そしてちりめん細工作家・牧野紀代子さんによる和の民芸クラフト作家4名で結成されています。坪井さんは我らまちづくり委員会の会長ですが、まちづくり委員会はこの作品展の下準備などに関わっていなかったため、作品展当日になるまでどのように作品が展示されているか全く予想がつきませんでした。

 

あんじゃないの家に近づくにつれ、いつもののんびりとした雰囲気とは一味違う場所に変身しているのがわかりました。私が駐車場に車をつけた時には会場から10名ほどの方が出てきていました。顔見知りのあんじゃないの家の講座生でもなければ、地元の方でもなさそうでした。新たな人材が新たなイベントを開催することで、あんじゃないの家に新たな客層が訪れたのです。当たり前のことですが、人を集客することの苦労を経験している身としてあんじゃないの家のイベントではないにせよ、いつも静まり返っているあんじゃないの家に沢山の方が訪れているのはとても嬉しい光景でした。

 

道沿いにはとてもかっこよい字が人を迎えていました。

玄関に入るといつものあんじゃないの家からは想像のつかない空間が広がっていました。大野さんの書と牧野さんの夫・倫太郎さんの山野草が作品展のムードを玄関からすでに設定されていました。いつもだと2階や台所へは戸がない為、来客者の目線はそのまま直にそれぞれの部屋へとつながっていましたが、透けているのれんをかけることでのれんの先の空間が見えるようで見えない、その先の空間に行こうと思えば行けるけど直感的に空間を分けるというなんとも程度の良い空間の間切りとなってのれんは大切な役割を果たしていました。

会場は落ち着いた大人の和な雰囲気で、それぞれの作品が似た様なトーンであるためとても気持ちよく共存しているように感じました。再度しつこく書きますが、普段のあんじゃないの家は無造作に椅子や机が置いてあるだけですが、この作品展の様におもむき・趣向の良い作品がゆとりの間をもって展示されることにより空間が見違え、一瞬あんじゃないの家でないような気がしたほどでした。写真があまり空間の良さをとらえることができず無念です。

大野さんの書以外の作品は会場で購入でき、私が行ったときには平日の初日にもかかわらず沢山の作品がもうすでに売り切れ寸前になっていて嬉しい悲鳴が聞こえました。作家さんそれぞれのファンがいる証拠ですね。確かに作品の写真を撮らせてもらう際作品の数が少なかったです。

 

下:坪井弥栄子さんの布ぞうり作品

下:丸山美千子さんのエコクラフト作品

下3枚:牧野紀代子さんのちりめん細工作品と牧野倫太郎さんの山野草

下2枚:大野恵石さんの書(百人一首)

 

空間の変貌にあっけにとられているうちにお茶がご用意されており、早速頂きました。葉っぱの上の白い物はぼんたん(?)のわたの砂糖漬けだそうで、初めていただきましたが美味しかったです。葉っぱの下に添えてある書は来客者が頂ける大野さんの書でした。粋なおもてなしにここでも驚きました。

女性4人の作品展は繊細ながらもしっかりとした実力があることが明白でした。そしてなんといってもあんじゃないの家の可能性を引き出した静かなパワーがみなぎっており、感心され続けた時間を過ごさせていただきました。3日間の開催期間に400人近くの方が作品展を訪れたと聞き、芸術と民芸が人を魅了する力を垣間見ることができました。小舟の会の皆様、大盛況な作品展おめでとうございました!そしてお疲れ様でした(^^)

(左上から右:牧野紀代子さん・坪井弥栄子さん・大野恵石さん。下:丸山美千子さん)

 

追伸:忘れてはならないのが空間の随所に作品に添うように飾られていた山野草の数々。作品はとても素敵でしたが、植物があることによりその良さがより引き立ったと思います。

 

下:スライドショー(小さい画像をクリックするとスライドショーが始まります)

 

—————

2015年04月20日 09:24

芸術文化が溢れる場所は輝いてる:直島編

こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

 

先週末は恵那峡ハーフマラソンが雨の中開催されました。参加者の皆様、完走お疲れ様でした!スタート前のクリスタルパークスケート場は参加者の車とシャトルバスで大変賑わっていました。その反面、三郷町のいろいろな道がコースに指定されていたため一定の時間中道は閉鎖され、地元の方はちょっと不便と感じたかと思われます。それでもハーフマラソン参加者の感想を読んでみると、雨の中道端に立っていた地元のボランティアからのあたたかな声援や掛け声が嬉しかったと書かれており恵那市のおもてなしの心は素敵だと感心しました。

 

さて、前回のエントリーに続き今回は現代アートが中心となったまちづくりの場所、香川県直島に焦点を当てたいと思います。

 

直島  

直島は香川県の北にあり、どちらかといえば岡山圏内に入っていてもおかしくないほど岡山県に近い、香川県の大小27ある直島町の離島の一つです。(下の地図で赤く囲まれているエリアです)高松市から1日9本毎1時間にフェリーが運航しており、50分程船から見える海や離島の景色を楽しむと直島に到着です。前回も書きましたが、本来ならば瀬戸内海の青い海と青い空、そしてぷかぷかと浮かんで見える緑の離島が見えるはずだったのですが、この旅行中はあいにくの雨模様で現実は黒い雲が島々を覆い、窓に雨が叩きつけるような強さで視界は閉ざされ、不気味な景色がしばらく続きました。島に到着するにあたり次第に黒雲は曇り雲に変わり雨も一時的にあがり、港周辺は明るい光に包まれるような雰囲気で我々のフェリーを迎え入れてくれました。文字にするととてもドラマチックなイントロですね。

直島の北部に位置する三菱マテリアルが100年近く銅を中心に金属を製錬し元々ある水産業と共に島民の生活を支えていましたが、1960年代の人口約7800人の全盛期から徐々に高齢化と人口減少により島の過疎化が進んでいきました。(2015年現在は人口約3200人弱)

(資料:直島町観光協会)

直島グランドデザインと3人の男   

直島について調べていてまず驚いたのは、直島町が過疎化を避けられなくなると感じた頃から1995年まで36年間町長を務めた三宅親連(ちかつぐ)氏が1960年に描いた直島のグランドデザインが以後直島だけでなく香川県の観光振興・経済に大きく影響することになり、そして現在も三宅氏の方針が直島のまちづくりの中核にあるということでした。以下に記載されているのは三宅氏のグランドデザインの概要です:

「直島の北部は既存の直島製錬所を核として関連諸産業のより一層の振興をはかり、町経済の基盤とする。中央部は教育と文化の香り高い住民生活の場。南部は瀬戸内海国立公園エリアを中心に自然景観と歴史的な文化遺産を保存しながら、観光事業に活用することで町の産業の柱にしたい」

『直島町史』より

直島の南部を自然景観が満喫できる文化的な観光地として開発していきたいという三宅氏の思いは岡山に本社がある(株)福武書店(現(株)ベネッセホールディングス)創業社長福武哲彦氏(現会長)が描いていた「瀬戸内海の島に世界中の子供たちが集えるようなキャンプ場を作りたい」という夢とシンクロすることで福武氏の直島訪問、直島南部開発につながりました。1980年代後半にベネッセは直島南部約165haの土地を購入し、最初に直島国際キャンプ場を建てました。キャンプ場を設計したのが世界的に名の知られている建築家安藤忠雄氏で、キャンプ場に屋外常設の現代アート彫刻が設置されたのが芸術という種が蒔かれた瞬間でした。ここから3人のビジョンと熱意が統合し、巨大芸術プロジェクトが白熱していきます。

 

島民と現代アートの関わり  

1990年代前半には現代美術館とホテルが統合されたベネッセハウスが建設され、そのあとに「OUT OF BOUNDS」という現代アートを美術館外に出した展示を試みることによりサイトスペシフィック・アートの基盤ができあがります。しかし当初は島民の生活からはとてもかけ離れた現代アート、そして島民が生活を送る場所から離れた南部での芸術活動は他人行事の企業事業でした。ベネッセは島民の理解を得るため島民の美術館入場料を無料にしたり、サイトスペシフィック・アートを芸術家に依頼する際島民に製作過程に参加してもらい、芸術家と現代アートが島民にとって身近な存在になっていきました。その過程中サイトスペシフィック・アートの試みは美術館敷地内だけでなく、島民が生活し島の歴史や文化がある本村に点々とあった空き家や空き地などで製作されるようになりました。(家プロジェクト

 

その後は活動が島全体に存在する場所で行われるようになり、現代アートは島民に徐々に受け入れられるようになりました。昔から親しんでいた建物が芸術に変わり再生される過程や、自主的にアートイベントでボランティアする、そして直島観光協会と自治会がサイトスペシフィック・アートである温泉施設(I♡湯)を(財)直島福武美術館財団から無料で譲り受け、地元の方で運営するなど芸術が島民の生活の一部として認められるまでになりました。2005年にSANAA設計事務所による町の公共施設、海の駅「なおしま」が開館し、それに伴い町民が運営するカフェや観光ガイド団体、特産品開発、自転車貸し出し、宿泊施設や飲食店など次々と地元の方によるローカルビジネスが生まれました。

 

その他にも現代アートに刺激を受け地元の島民も自主的に自分たちでできる生活アートなどを街中で実施されるようになりました(屋号プロジェクト、のれんプロジェクト、生け花アート、古民家ギャラリーなど)。実際に家プロジェクトがある本村を散策していると、「見てください!」といわんばかりにいくつもの門先からお庭まで続く植物達は開かれた門が額のように自然の美しさを放ち、道を歩いている人達の目を次々ととらえていました。

(資料:直島町観光協会

更なる飛躍   

2004年には建築物が文字通り地中にある地中美術館がオープンし、安藤氏の設計と館内で展示されている4つの作品が世界的に知れ渡るようになり、地中美術館を中心に直島全体をフル活用したサイトスペシフィックな直島アートプロジェクトが世界的に人気スポットとなりました。

(写真:ベネッセアートサイト直島

2008年からは直島以外の島でも現代アートムーブメントが起こり、岡山県犬島をはじめ豊島などにも芸術家や建築家を呼び、その土地を応用したサイトスペシフィックな作品を次々と製作していきました。その流れで遂に2010年瀬戸内国際芸術祭(通称瀬戸芸、Art Setouchi Triennale)が開催され、イタリア・ベネチア国際芸術祭(Venezia Biennale)の様に数々の離島に点在している現代アートを船を使い移動しながら自然や瀬戸内の景観を楽しみ、そして芸術に携わる体験を実現させました。ベネチア芸術祭は2年おきに芸術作品と建築パヴィリオンが交互に展示されますが、瀬戸芸では3年おきに芸術と建築作品が同時に開催されます。この国際芸術祭は香川県に設置された瀬戸内国際芸術祭実行委員会が主導し、県内の自治体や企業が関わっています。下の地図は瀬戸芸の現場となる島々を紹介しています。地図を見るだけでもワクワクしてしまいます!

(資料:瀬戸内国際芸術祭実行委員会事務局)

地中美術館ができるまでは例年観光客数は5万人だったのに対し、2004年地中美術館開館以降観光客数はグラフにショックが与えられたくらい急激な増加があり、それからも増加傾向が続いています。2011年には人口3,200人の島に美術や建築好きが国内外から約400,000人訪れるまでになりました。人口の100倍以上の観光客とはものすごいです。(下のグラフはH20(2008)までの情報ですが参考まで)

資料に目を通して残念だなと思ったのは、この現代アートムーブメントの元となる、福武氏の夢だった子供たちのための直島国際キャンプ場は長らく利用者が低迷しており、2006年に閉鎖されていたことでした。

瀬戸内国際芸術祭以外にも日本各地には自然と地元にしかない資源を利用し、それと芸術を融合した芸術祭が沢山開催されています。どれもコンセプトが面白く、旅行や芸術・建築に興味がある方にとってはとても魅力あるイベントだと思います。また、今回は直島の現代アートと島民に焦点をあてましたが、きっと他の芸術祭にも地元の人がどのように芸術と接し、大きくまちづくりに貢献しているのかという裏話は沢山あることでしょう。気になる芸術祭をリストアップしてみました:

別府現代芸術フェスティバル(大分)

水と土の芸術祭(新潟)

大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ(新潟)

道のおくの芸術祭 山形ビエンナーレ(山形)

 

遠い昔ベネチア・ビエンナーレに行ったことがありましたが、観光客数ピークな時期でとても混み合い、いかにも芸術スノブでツンケンしている人が多かったので、人が大勢いる場所が苦手とする私には忙しく息苦しい思い出が良い思い出より強く残りました。それ以来あまり芸術祭というものには近づかなくなっていました。今回は芸術祭ではありませんが、季節外れの直島はとてもゆったりとしている上観光客は以外に少なく、雨の中とてもしっとりとした島の良さがあり自然を堪能ことができました。本当は2泊3日ほど時間をかけてじっくりと島を回るべきですが、大人の事情でフェリーで高松に戻るまでの5時間を最大限に動き直島を体感してきました。本調子じゃない時の雨の中の自転車移動は想像以上に体力的に堪えましたが、それがかえって忘れられない思い出になりました。次回訪れるときは晴れた時にじっくりと日の動きで変化する現代アートの雰囲気を楽しみたいとおもいます。

 

通常船に乗ることがない人たちにとって島に出かけるという行為自体が現実から離れる雰囲気満載なのですが、飾りっ気のない自然豊かな田舎の島々の中に現代アートが町や景観に馴染んだ建物の外観の中に隠れながらも盛り込まれている風景、そしてその場所を歩いて体験することはまさに非現実的な異次元の世界だと高松港へ戻るフェリーの中で感じました。高松から岡山、岡山から名古屋へと移動し、帰路が短くなるにつれ現実に戻らなければならない悲しさは増し、ついに旅の終わりを迎えました。

 

おさらい   

 

参考:

ベネッセアートサイト直島

国土省 香川県直島町 NPO法人 直島町観光協会

国土省 香川せとうちアート観光圏

国土省 伝統的お遍路文化を活用した風景づくり方策の実践的検討調査

笠原 良二 現代アートがもたらした島の誇りとアイデンティティー ~香川県直島~

 

—————

2015年04月17日 17:01

小学校で古民具展示

先週旧町役場から古民具が小学校へ運ばれ、展示用の棚も出来上がり古民具の展示ができたという情報を頂き、早速小学校の展示室へお邪魔してきました。

 

詳細はこちら:三郷小学校にお引越しされた古民具の様子

—————

2015年04月17日 14:56

三郷小学校にお引越しされた古民具の様子

こんにちは、ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

 

今日はN事務局と一緒に三郷小学校へお邪魔してきました。小学校へ足を運ぶのは小学6年生以来です。授業中の教室を通り際覗くと、しっかりと先生から学んでいる子たちと私たちの存在で授業はそっちぬけでじーっとこちらを見ている子たちに瞬時に分かれたのが面白かったです。

小学校を訪れた理由は、4月の始めに教育文化部会やPTA役員が雨漏りをしている旧町役場から展示したい古民具を救出し、それぞれ小学校とあんじゃないの家へ移動され、その後小学校でどのようにその古民具が展示されているのか見学させて頂くためでした。

 

展示室は図書室の隣にありました。部屋の半分は外国の書籍や郷土に関する書籍があり、その中に古民具はきれいに飾られていました。古民具には名前と使い方が書かれたプラカードが用意されており、古民具の用途がとてもわかりやすかったです。そして、昔と今の道具を比べられるよう現在私たちが使用する道具も展示されていました。木の良い香りがする木棚は人口減少対策部会O部長の作品です。

更に古民具の近くには古民具の書物も展示されており、思わず手に取って読んでみたくなるような仕組みになっていました。

部屋の反対側にはオペレーターにしかつながらない黒電話や蓄音器、ラジオなど箱の形をした生活家電が並んでいました。

 

柔らかい日差しが展示室に入り、部屋がやさしい明るさになっていたことに安堵を覚えました。以前古民具がかび臭い空間の中無造作に置かれていた旧町役場の状況を思うと、小学校に運ばれてきた古民具たちはこれから若い子たちと触れ合い続けることになり幸せそうな印象を受けました。これからも大切にされますように。

 

 

—————

2015年04月16日 09:51

芸術文化が溢れる場所は輝いてる:琴平編

こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。

三郷町は天候がこの頃不安定です、現在は晴れていますがまだ風は肌寒く初春に逆戻りしたようです。

 

最近休暇を頂き香川県へ行ってきました。風邪をこじらせたままの旅行だったので体力的に大丈夫なのか不安でしたが、旅というものは5感に刺激を与え続ける要素が満載でアドレナリン効力があり、動き出せば何とかなってしまうことに驚きました。あいにく旅行中はほとんど雨で思い描いていた青い空と青い海に癒されたのはほんの一瞬でしたが、それでも見たことのない土地で新しい知識や感覚を得ることができ、とても充実した時間でした。

 

今回香川県で訪れた町全てに共通することはサイトスペシフィック・アート site-specific art: 特定な場所に存在するために制作された美術作品及び経過)といったような芸術的要素がまちの活性化の根源にあるということでした。建築やランドスケープも芸術的な要素を備えており、その場所の為に作られた作品であるためサイトスペシフィック・アートとみなします。香川県の随所に文化や芸術を推進し、根本にそのような創造性を重視した事業を企画・実行するリーダーの存在、キーパーソンとのご縁、創造性を発奮させる地域資源の再利用、そしてそういった活動を歓迎する町民がいることに大変感銘を受けました。もちろんまちづくり事業の規模はそれぞれ違いますが、それでも考えさせられる面が色々あり知らぬ間に勉強になっていました。どこかで「うどん県。それだけじゃない香川県」というキャッチフレーズの垂れ幕を目にし、今振り返ると本当にその通りだと思いました。

 

これから数日間にわたり1か所ずつご紹介し、私的な感想を書いていければと思います。

まずは琴平からスタートです。

 

琴平     

琴平は金刀比羅さんやお遍路さん以外に、「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が行われていることをつい最近知りました。毎年春の風物詩となっている「四国こんぴら歌舞伎大芝居」を見物するため、人口1万人弱の町に人口の何倍もの見物客が県内外・国外から15日間の開演期間を通して琴平を訪れます。町全体が歌舞伎色に染まり、琴平だけでなく香川県の経済に大きな影響力を与えるまでになったそうです。

写真:こんぴら歌舞伎オフィシャルサイトより

この大イベントの発端は1984年頃。オイルショックの影響で不景気になり観光がすたり、当時町民の70%が観光産業に関わっていたため次の観光資源を必死に模索していた時、テレビの企画撮影で歌舞伎俳優の中村吉右衛門、澤村藤十郎、中村勘九郎が1970年に芝居小屋として初めて国の重要有形文化財に登録された旧金毘羅大芝居(金丸座)を訪れました。江戸時代歌舞伎の全盛期を髣髴させる空間、歌舞伎の原点である観客と一体感のある芝居小屋で演じたいと建物に魅了された彼らの熱意と要望により、当時の文化庁、松竹芸能、その他の協力団体を交え沢山の問題を解決し復活事業を大成功させたそうです。1985年に第1回目を迎えてから継続的に活動することにより名誉ある賞を多数受賞し、今年で31回目を開催中です。

写真:こんぴら歌舞伎オフィシャルサイトより

ここでの公演は多くの町民ボランティアにより機能しています。耐震構造以外舞台は江戸時代のままで電機や機械が使用されないため、自然光の照明を窓の開け閉めで3段階に操ったり、人力で動かす回り舞台・せり・すっぽんなどの舞台装置を地元の商工会議所青年部が行われます。また、お茶子さんと呼ばれる黄色いはっぴを着た方々もボランティアで接客サービスや掃除などに取り組まれており、近年は県外からもお茶子さんとしてお手伝いに来てくれる方もいるそうです。

 

歌舞伎を鑑賞した友人たちに感想によると観客と俳優の距離がとても近く、言葉回しが半分以上分からなくても声の響き方や感情の表現力に迫力があるため演目の物語に吸い込まれそうになるそうでした。宿のお風呂場でも毎年20年以上ここでの公演を楽しみにしていらっしゃる歌舞伎ファンにお会いし、あまり歌舞伎のことを知らない私に他では体験できないこんぴら歌舞伎の良さを熱心に目を輝かせながら濡れた髪のまま教えていただきました。そういった長年のファンとお話しできたのも、本来なら金刀比羅本堂へお参りする方や四国八十八ヶ所霊場へお遍路をする人が主な宿泊者だったところを、歌舞伎座が復活したことにより歌舞伎ファンという新たな宿泊者層が増え、琴平の観光施設を窮地から救い出したからです。琴平に来ないと味わえない歌舞伎空間を再復活させた四国こんぴら歌舞伎大芝居という芸能文化はれっきとしたサイトスペシフィック・アートなんだなとしみじみ髪を乾かしながら思いにふけりました。

 

参照:

こんぴら歌舞伎のあゆみ

日本の劇場 ~歌舞伎芝居小屋に生き続ける民俗性~

近兼 孝休

 

追伸   

唯一気になったのは金刀比羅本堂へ向かう参道の両脇に長い距離のお土産屋さんが沢山並んでいたのですが、本シーズンでない為か日中でもシャッターが閉まっていたり活気がなく閑散としていてなんとなくさみしさが漂っていたことでした。夜は7時になると参拝に来る観光客がいなくなるため参道沿いのお店がほとんどしまっていまい、薄暗い中私の足跡のみが響く空間になっていてたので少し早足で宿へ戻りました。もしかしたらハイシーズンの時はもっと賑わいがあるのかもしれませんのであしからず。

—————

2015年04月09日 10:15

2015年フォトコンテストのチラシができました!

2015年度三郷町フォトコンテスト「三郷のええとこ撮ってみらっせ!」のチラシができあがりました。

2014年に受賞された作品が掲載されており、三郷のきれいな景色をばっちりととらえています。

イベント情報を更新しましたので、詳細は下のイメージをクリックしてください↓

 

 

—————

2015年04月08日 10:49

小舟の会 作品展「ふるさとは春うらら・・・」

恵那市在住の作家仲間で結成された小舟の会が4月24日から3日間作品展「ふるさとは春うらら・・・」をあんじゃないの家で開催されます。

 

春をテーマの書をはじめ、クラフトテープで作られた編みかごや多彩な布ぞうり、そして繊細なちりめん細工など素敵な作品が展示されます。

 

ちなみに我まちづくり委員会のT会長が作家さんの一人です(^^)

ご興味のある方、お時間がありましたら是非足をお運びください。

—————

2015年04月06日 17:52

古民具移動しました

先日教育文化・市民参画部会と小学校のPTA役員の方々が旧町役場から古民具や体育協会の遊具などを小学校とあんじゃないの家へ移動しました。旧町役場かう重要とされる古民具はこれで全て引き取られました。関係者の皆様、雨の中ご苦労様でした。

 

詳細はこちらです:古民具移動

—————

2015年04月06日 09:37

古民具移動

先日小雨の中、教育文化・市民参画部会の会員とPTA会員の方々が旧町役場に集まり、まだ中に存在していた古民具や体育協会で使用する遊具等を三郷小学校とあんじゃないの家へ移動しました。

数週間前に郷土史研究会の方と教育文化部会のメンバーが旧町役場の中を再確認したところ、建物の劣化で天井が崩れ雨漏りがひどくなっており、このままでは室内に残された古民具の状態がどんどん悪くなるばかりなので展示する価値があるものを選択していただき、今回の移動作業に引き継がれました。

今回は機織り機の道具が数々残っていたので機織りに詳しいIさんにまだそれらの道具が使用できるか確認していただきました。そして、古民具を運び終えた後にIさんが通っている岩村の機織り工房へお邪魔し、どのように機織り機関係の道具が使用されているか見学してきました。ここも古民家を移築し工房に自分で改修工事したそうで、風情のある場所でした。

これを機に展示場を更に充実させ、使用できる民具は体験教室などで役割を果たせるようになれれば道具としての命が再度ふきこまれ、次世代へ受け継がれる流れができるようになります。

 

ご協力いただいた皆様のおかげで無事古民具は救出されました。ありがとうございました!

—————