皆様こんにちは、三郷町ふるさと活性化協力隊のmeganeです。
皆様は3連休をどのように過ごされましたでしょうか?
今回は前回の「なんまいだ」に引き続き、1月10日(日)に各地で行われた新年行事のどんど焼きについてリポートします。去年は佐々良木区西へご招待を受けましたが、今年は「野井区の流田と中切のどんど焼きを見ると良いよ」と昨年末舟森山武並神社の門松作りを取材した際にアドバイスを頂いたので、招待なしの突撃取材となりました。(どんど焼きをご存知ない方は昨年の佐々良木区西のどんど焼きの記事をお読みください)
下:地図をクリックするとgoogle mapに飛びます。そちらでどんど焼きの会場になった組名や場所がわかります。
1.大沢組
今までそれぞれの自治会が一体どこなのか、あやふやにしか理解していませんでした。「なんとなく」を頼りに家を出て、ゆっくりとどんど焼きの会場へ向かうも思っていた所には人気があらず。もう少し東へ進むと、穴観音様(三十三所観音様)が祭られている林の辺りから煙が出ていましたので、そちらへ急いで行きました。
会場にたどり着くと、まだどんど焼きを設置している段階でした。煙は人が温まるように焚いたたきぎのもので、どんど焼きの行事が始まるのはまだ1時間先とのこと。「流田では8時ごろに鷺鳥(左義長)を作るからその光景が見れる」とお聞きしていたので一番初めに流田を目指したわけでしたが、私が到着した時点でもう鷺鳥はしっかりと出来上がっていました。その他にもいくつか聞いていたお話と違う点があったので町民の方にお聞きしたところ、どうやらそこは流田ではなく、流田より一つ東側に位置する大沢という自治会だったのです!とんだ勘違い・・・でもせっかくでしたので、取材の許可を得て貴重な準備作業を拝見させていただきました。
どんど焼きは別名左義長(なぜか昔のホッケーみたいな球技で三毬杖(さぎちょう)という宮中行事から由来している)と呼ばれており、その名前にかけた鷺鳥(さぎちょう)、幣束(へいそく)、ぼんでんが先についた3本の竹がどんど焼きの中心に立てられます。幣束は4日のなんまいだの時にご近所を回り無病息災や五穀豊穣を祈るため唱える際に使用したもの。ちなみにその当日ご近所の門松を子供達や子供会の関係者などが集めに回ります。数年前まではこちらの道は舗装されておらず、道の真ん中でどんど焼きを行っていたそうです。道路が整備されたことにより、隣の田んぼをお借りして行事を行うようになりました。
大沢の鷺鳥はものすごい迫力がありました!大きさはもちろんあるのですが、なんといってもワラでできたトサカが勢いよく上がっているのと、くちばしが上手にできており、しっぽが長いため風が当たると鳥は今にも動き出すかのようでした。こちらは子供会の子供たちに付添そわれた大人たちの力作です。
まずは杭を打ち、その中に先程の中心となる三本の竹を立てる準備をします。杭が倒れないよう、しっかりと補強をします。そこへ近所の山から捕ってきた竹や乾いた木、そして4日に自治会内で飾ってあった門松を集めたものを次々とどんどの山に足していきます。昔人口が多かったころは門松の量も多かったのですが近年は門松を作る家庭が少なくなり、燃える音が「どんっ」とする竹がないとどんど焼きらしくないため、新たに竹を切ってどんどの燃やす山に足すようになったと聞きました。どんど焼きを大きくしていく作業はしばらく続くのですが、9時過ぎにならないと子供たちは集まらないと言われたこともあり、私は一旦流田の方へと取材先を移動しました。(流田のどんど焼きはこの後に記載します)
さて、流田のどんど焼きから戻ってくると、まだどんどは焼けていませんでした。鷺鳥がついている竹は3、4メートルの高さがあります。左義長を支える竹先にはワラが巻かれており、火が左義長までまわりやすく工夫されています。鷺鳥は毎年違う恵方に頭を向けて設置します。今年の恵方は南南東なので、大沢組はじめ他のどんど焼き会場も鷺鳥は南南東を向いていました。
子供たちも沢山集まっていました。行事が始まる前は焚き木に使用する木材をおもちゃにして遊んだり、田畑や川沿いで何かを見つけてはしゃいだり、元気に走り回る姿は微笑ましく、いつでもどこでも遊べる子供たちの頭の柔軟性に感心させられました。そうこうしているうちにどんど焼きの始まりです。まずは子供たちがどんど焼きの前に整列し、神社の参拝と同じく二礼二拍手一礼をしてお正月中門松に宿っていた歳神様にご挨拶。そのあとは子供の代表がどんど焼きに少しずつお神酒をかけて一周します。これでどんどに火をつける準備ができました。
下:どんど焼きの前の参拝風景
火がつくと、勢いよくどんど焼きが始まりました。煙もものすごい勢いで天へ上がって行きました。これで歳神様も無事に天へ戻ることができるでしょう・・・と思いきや、しばらくすると思ってもいなかったハプニングが!
どんど焼きで重要な鷺鳥が一向に燃えないのです。燃えるどころか、先ほどしっかりと製作していた支えの構造の木材が先に燃えてしまい、鷺鳥が竹についたまま落ちてきてしまいました。急いで鷺鳥がついた竹を短く切り、再度どんど焼きの燃えやすいところに挿し直して無事鷺鳥が燃えるのを見守りました。今年の大沢組の農業がどうか不作でありませんように!
子供達や保護者がどんど焼きを最後まで見守る中、焚き木周りにおじいちゃん世代の男衆が集まっていました。肩越しに覗くと、いつの間にか大きな竹筒にお酒を入れお燗やお酒のお供となる焼き魚を準備していました。お燗を飲むコップも竹でできていたのには新鮮なワイルドさがありましたが、何より大きな竹から注がれるお燗を嬉しそうに頂くおじ様方の姿が何とも微笑ましかったです。
女性の方はその間参加者のくじ引きを担当したり、談話しながらお菓子や食べ物を準備したりと行事を楽しまれていました。思えばどんど焼きを準備するのは男性だけで行われていましたし、火を扱うのも男性。これほど女性と男性の担当がはっきりくっきり分かれて行事を行うのはいまの時代珍しいなと後になって思いましたが、ここの地域ではまだ当たり前の風景なのです。
2.流田
さて、大沢組が準備をしている最中に流田の会場を発見し、お邪魔してきました。こちらもどんど焼きにはにそれぞれ鷺鳥、幣束、ぼんでんが先についている3本の竹を立てますが、それぞれ大沢組のものとは作り方がほとんど違うことに驚きました。竹の長さもこちらは他の地域に比べ比較的低めに設定されていました。数百メートルしか距離がないのに、こんなに装飾が違うのです。大沢は幣束に榊がついていましたが、流田は幣束のみ。ぼんでんの形も、鷺鳥の姿も色々あって面白いことに初めて気がつきました。
下:流田の鷺鳥は表情がありとても可愛らしいです。そしてワラは使わず、枝をしっぽなどに使用されています。よく見ると、くちばしの先にはひし形のお餅を意味する紙がついていました。
流田では先程大沢で見れなかったどんど焼きの作り方を見学させていただきました。まずは近所の門松に使用した材木や切ってきた竹を中心に集め、その周りに乾燥されて燃えやすい木材をおき、更にその周りに見栄えが良い竹で覆い、全体をひもで固定します。この時になるべく鷺鳥や最初に立てた3本の竹が中心になるよう勘考します。皆さん結構手慣れた様子で次々と作業が進みました。
左下:全体のバランスを最終チェック
右下:野井の酒蔵元・恵那醸造のお酒
火がつきやすいように新聞紙を下に詰め、着火してからそこから火がまんべんなく回るように見守ります。時にはどんど焼きの竹や枝などを動かして手動で火を広げていました。かなりやけどを覆う可能性の高い、危ない作業ですがそこはワイルドな方々なので慣れた手つきで行われていました。
下:流田のどんど焼きの煙
さて、火が順調に燃えた頃、女性の方々はお神酒やおやつを準備し、子供達はそれらをどんど焼きの参加者に振る舞うお手伝いをしました。緊張しながらも、身近な大人や私のような知らない人まで勇気を出して声をかけている子供達から何かを頂けるということに、とても心がホッコリ温まりました。ちょっとしたことですが、このような体験が地域のつながりを強化させるのかなと思いながら頂いたみかんを美味しく頂戴しました。
どんど焼きの火がだいぶおさまってきたころ、書初めを持ってきた子供たちがどんど焼きの火の中に書いた紙を投げ入れました。言い伝えでは紙が高く舞い上がれば字が上達すると言われています。今回の男の子たちの紙も空高く上がって灰になっていったので、きっとこれから字がメキメキと美しくなることでしょう。私も書初めして持ってこれば良かった…
そして自宅にあった古いお札やしめ縄など神事の飾り物を持参してどんど焼きで燃やします。そうすることでそれぞれの家庭を守っていただいた神様たちも天に戻られます。こうして年末の門松迎えから続く様々な行事のサイクルがこれで完結します。この後どんど焼きの火でお餅などを焼いて、暖をとりながら地域の方と交流するのですが、私は次の会場へ向かうためここで失礼しました。次の会場へ移動している最中、大きな黒いススが沢山宙に舞っていたり地面に落ちていたのはなんとも不思議な光景でした。
下:流田のどんど焼きの竹が燃える音
3.西組
次に向かった先は中切でしたが、またもや道に迷ってしまったので、近隣で煙が立っている方向へ進みました。煙は見えるし人の声が聞こえるのですが、なかなか人が見当たりません。一体どういうことなのでしょうか?
さらに会場へ近づくと、先程の謎が解けました。段差がある棚田の裏でどんど焼きが行われていたのです。会場の入り口ではたくさんのお子さんと保護者が来場者におやつを配られていました。
挨拶を済ませたら、いつの間にか鷺鳥が燃え焼けて無くなっていました。鳥の姿を写真に捉えることができず残念でしたが、以前まちづくり委員会に関わっていた方がいらっしゃったので、ご挨拶がてらこちらのどんど焼きをしばし拝見させていただきました。お話ししてると、こちらは三郷町で一番子供が多い地域で、逃してしまった鷺鳥作りも子供たちが作成されたそうです。ここのどんど焼きは3本の竹を立てず5メートルほど長い1本の竹に鷺鳥などの飾り物をつけて、倒れないようひもや杭などで固定されていました。そして、ここは目指していた中切ではなく、西組だということが判明。またしても迷ったおかげで新しいエリアにお邪魔することができました。
それにしてもとても火力が強く、周った会場の中でここが一番爆竹音の迫力を感じました。しばらく見いっていると、どうやら火が強い秘訣はバーナーで火を強化していたようです。こちらも違う意味でワイルド感溢れていました。そしてそうもゆっくりしていられないと我に返り、中切の場所を聞いてから急いで西組をあとにして次のどんど焼きへ向かいました。
4.中切組
案の定、中切の会場についた頃にはもうどんど焼きの山は小さくなって、遠目から見えないほどになっていました。一体どのような鷺鳥で、何本竹が立っていたのか自分の目で残念ながら確かめることはできませんでした。こういう時分身の術が使えれば…と心の中で嘆いていたら、ここを紹介していただいた方がとても素敵なプレゼントを準備されていました。それは2004年に中切組のどんど焼きがテレビ番組の取材を受けた時の映像、どんど焼きに関する情報が書いてあるメモ、そして他の行事の貴重な映像など。本当に嬉しいサプライズで心から嬉しかったです、ありがとうございました!
下:2004年中切組のどんど焼きの風景(映像元:メ~テレ)
そしてさすがに4つのどんど焼きを見学していたため体が冷え切ってしまい、どんど焼きで暖をとっていたら次々と子供たちが美味しそうなご馳走を運んで来てくれました。何もお手伝いはできませんでしたが、つい嬉しくなってしまい色々と頂いてしまいました。枝豆に自家製の漬物数種類、おやつになんといっても温かい具沢山豚汁は体に染みました。本当に色々とご馳走になり、ありがとうございました!どんど焼きの火で暖をとると若返りできたり無病息災で一年過ごせるご利益があるそうです。私は今回4か所回ったので、今年は昨年より元気に過ごせるはずです!
いきいき教室に通われている、歴史や文化に詳しいおじいさんもここの組の方で、今回どんど焼きについて少しお話をお聞きすることができました。先程も書きましたが、幣束は4日のなんまいだの時にご近所を回り、無病息災や五穀豊穣を祈るため唱える際に使用したものです。少し混乱してしまうのは、「なんまいだ」は仏教の南無阿弥陀仏から来ているのですが、いつから仏教の行事に神道で使用されている幣束が使われるようになったのだろうかということ。そしてぼんでんは色とりどりの紙で作られており、「色がついている装飾は仏教からの由来だろう」、とおじいさんは推測しているそうです。なんまいだやどんど焼きや昔の神仏習合な行事の習わしの由来について調べると面白いぞ、とアドバイスをいただきました。まさに、掘れば掘るほど面白い分野です。
そうしているうちに残りのおき火でお餅が焼かれ始めました。どんど焼き用のお餅はひし形で、田んぼの形を表しています。五穀豊穣を祈ってこの形になったのかなと想像しました。このお餅を食べれば1年間健康でいられるという言い伝えがあります。また、少し考えすぎかもしれませんが、ここでお餅を食べることの意味は田んぼを示すお餅を体内に入れて五穀豊穣の祈りを自身の中で消化し、そしてその思いを胸にまた新年から農業と向き合うという気持ちの意思表示なのかもしれません。そうなると、実はお餅を食べることは何と意味深い儀式なのだろうかと思いました。(あくまでも個人的な意見です)私も美味しそうなお餅を頂きたかったのですが、冷え性の体は低体温になってしまい、脳も作動しなくなっていたのでここにてどんど焼きの取材から失礼させていただきました。お餅を食べて健康な体、手に入れたかったです…。
帰路の途中、車から新たなどんど焼きの煙が北の方から上がっていたのが見えました。残念ながら会場に寄ることはできませんでしたが、宮の前という自治会で行われていたものだと思われます。こちらの様子を記録されていた方がいらっしゃいましたら、まちづくり委員会の方までご連絡願います。
コミュニティー単位の地名
町は地区、そして自治会(組)・または班という単位で構成されています。三郷町全体には19の自治会が存在しており、それぞれのコミュニティーは微妙に違う気質や生活文化があるようです。また、同じ町内でも野井区は自治会、佐々良木区は班と呼び方が違うという点もおもしろいです。オンライン上の地図を見ると区ではなく自治区の地名が表示されることがありますが、通常町内を運転していても大まかな地区しか認識していないため、それ以下の地名を覚えるのには今回のような取材がとてもためになりました。
あとに思うこと
私は初対面では人見知りで恥ずかしがり屋な気性なため、知らない人がいる集会に顔を出すのには相当の勇気が必要でした。でもこの職について2年目になると、いつの間にかどこかでお会いした方々やまちづくり関係のイベントなどでお世話になっている方々と各地域でお会いする機会が増えました。これはいわゆる顔が広くなったということなのでしょう。
未だに「まちづくり委員会の者ですが…」と挨拶を始めても、普段町の外へお仕事へ行っている方や、忙しくて地域との関わりが少ない働き盛りの年代の方達には?マークの表情しか頂けずなかなか疎外感があります。しかし、まちづくりを通して交流している町内人口が少しずつ増えているお蔭で今回はどこかしらに顔見知りの方々がいたため、緊張しすぎず取材をすることができました。ふるさと活性化協力隊としての冥利ですね、心から感謝です。
今回は野井区の大沢、流田、西、そして中切組のどんど焼きにアポなしでお邪魔しましたが、皆さん快く私を迎え入れていただき本当にありがとうございました!